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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(6)

夕方ホテルに戻り、6時にロビーで待ち合わせて街へ出る。
編集者はレスラー系の派手な刺繍入りシルクガウンを衝動買いしている。
内心「どうするんだよ、それを……」と思う。旅先でテンションが上がり切った場所で買ったものは家に持ち帰ったとたん不思議なことにたちまち輝きを失う。あれは不思議なものだ。

色とりどりのアオザイがある。こちらの女子学生は白いアオザイをさっそうと着こなして自転車をこぐ。彼女達はほっそりして清楚で、白いアオザイはとても魅力的だ。しかし、さて、だからといって、私が日本でアオザイを着るかと自問すると、ほぼ100%着ないと断言できる。買わない。いくら安いといっても、生地を選んでいちいちオーダーするのもめんどうだ。妹はというと、「Saigon」と大書きした緑色のTシャツを買っていた。それをいったいどうするつもりなのだよ……。それを見た編集者が「お!? そのTシャツいいねっ、俺も欲しい!」とテンション上がりまくっている。 いったい彼らの頭の中はどうなっているんだよ……私にはわからん。  

翌日、午前中は晴れていたが午後はバケツをひっくり返したような大雨になった。
今日は午後ぐらいフリータイムでいこうと午前中だけ取材にあてておいてラッキーだった。  
大プムキーコイギア通りにある南ベトナム政権時代の旧大統領官邸に行った。中華とコロニアルが融合した個性的なデザインだ。赤の絨毯が重々しい執務室、国賓応接室、戦略室、他にも公開していないたくさんの部屋があるという。BGMは延々とビートルズがかかってる。いったいこれはなぜなのだろう? ベトナムにとってかつてのアメリカは敵ではなかったのか? ちょっと不思議な感覚だ。  

通りには『ドイモイ政策を成功させて豊かな未来を』といったことが書かれた国の啓発看板があちこちにあった。  

ベトナムの国営デパートは私のリクエストである。ここはいわゆる「デパート」ではなく、大きな建物の中にごっちゃりと闇市を広げたような雑多な雰囲気の「市場」のようなものだ。あちこち所狭しとテント風の店が並んでいる。店といっても商品を所狭しと床に広げただけの、フリーマーケットの集合体という感じである。天井が高くて抜けがあるので雑多な音が一斉に反響していて、薄暗く、一種異様な感じを醸し出している。    

商品は野菜果物、雑貨、衣類、化粧品、お菓子屋、観光客目当ての土産物屋から骨董屋までなんでもあるのだが、雑然として何もかもチープで、そのまま買えば、確実にボラれるのではないかという危険極まりない予感がする。  

今でこそ、ベトナムは女の子に人気のおしゃれな町といった感じに生まれ変わっているとも聞くが、当時はまだ、戦後の日本を目の当たりにするような渾沌とした場所だった(今もベトナムの田舎に行けばそういった場所が大半だと思うが)。  

編集者は性懲りもなく「ホーチミン」と書いたペンキ臭いTシャツを数枚と、毛沢東と赤い星の入った人民時計を買った。なにが嬉しくてこういうお土産を買うのか甚だ疑問を感じる。立派な「いやげもの」だ。

妹はこれまた昨日とは違うバージョンの「サイゴン」Tシャツを買っていた。

ああ。。。ぶらぶらしているとギアが、何やら大きな饅頭をもって「おいしいもの、きまちたよ♩」とこちらにやってきた。


つづく


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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(5)


到着したタイソン島のレストランでお茶を飲む。
アンティークの大きなテーブルに、見慣れないカットフルーツがたくさん出てきた。 
ドラゴンフルーツ、マンゴスチン、パパイヤ。。。果物には塩をちょっとつけて食べるのがベトナム式だという。ギアの日本語があまりにも流ちょうなので、私たちはほとんど意思疎通に英語を使うこともベトナム語をつかうこともなく、ふと、ここが遠い異国であることを忘れがちになり、我に返ってあわててしまう。ここはベトナムなのだ。  

タイソン島で農業を営みながら食堂を経営するムイさんは、旦那さんが元ゲリラのリーダーで、この村を守るために命がけで闘ったのだと話してくれた。

奥さんはもの静かで、どこか昭和の日本人を彷彿とさせる。その笑顔がどことなく懐かしい、古き良き時代の昭和の笑顔だ。  

タイソン島には子供が多かった。私たちが話しかけるものだから、楽しそうにはしゃいでいる。皆、小学四年生ぐらいだろうと勝手に思っていたが、しかしそれは大きな間違いだと後で聞いた。中には子供もいるが、ほとんどは十代後半だという。ベトナム戦争で使われた枯葉剤の後遺症だ。 今も戦争は影響を与え続けている事実を目の当たりにしてアッパーパンチを食らったような衝撃を受けた。自分の無知さ、平和ボケを嫌悪せざるを得ない。 

ベトナムは南北に細長いS字型をしていて北と南で気候が違う。今回はハノイのある北部を回ることは日程的に無理で、中間地点のダナン、フエで引き返してくることになったが、南は熱帯性気候で雨も比較的少ない。しかし、じっとりと湿気を含んだ暑さには正直参ってしまう。タイソン島は川風がそよそよと過ごしやすかったのだが。    

昼ご飯はホーチミンに引き返す途中のレストランで、塩味の野菜のスープ麺を食べる。ベトナム料理は塩味ベースで、あっさり系の中華に近い。スープの中にはキューリと人参、ジャガ芋、水菜、そして、ライスペーパーに小荷物のように小さくくるんでニラでリボンをかけた細工の細かいギョーザが入っていて、これはナイスアイデアだと私たちは絶賛した。

麺は米でできたフォーという平べったくて半透明の麺。胃に優しい麺で、いろいろな場所で食べたが、この味はほとんど当たり外れがない。香川におけるうどん、みたいなものだ。  大皿にカレイに似た雷魚揚げが皿に立たされた形で運ばれてきた。    

魚の表面には米粉で作った鱗をつけて揚げてあるので非常にリアルだ。 
「なにも立たせるこたぁねぇのになあ、おっかねぇ」と編集者がつぶやいて、私たちは思わず苦笑する。魚はニョクマムという甘辛いソースにつけて食べる。これも日本人好みの味だと思う。ライスペーパーにゆで海老、生野菜と蒸し鳥を巻きこんだ生春巻きも最高だ。  

ベトナム料理はシンプルにして繊細だ。やはりアジア人特有の手先の器用さ、フランス領だった名残もあるのだろう。アルミのドリッパーでゆっくり入れる濃いフレンチ式のコーヒーもとても味わい深い。メニューではベトナムコーヒーより「ネスカフェ」の方が高かったりするのが不思議でたまらないのだが。


つづく

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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(4)



ミトーに近づいてくると「HOT TOC」という看板をいくつか見かけるようになる。 
「あれはホット・ドッグの店か?」 
「いいえ、散髪屋さんです」ギアは言う。
 ちなみに「HOT TOC」の発音は「ホァッ トァッ」という。鳥の鳴き声みたいでベトナム語もなかなか難しい。 

ギアに、朝のバイキングでみた濁ったミルクとバターのことを尋ねると、
「それは牛じゃなくて水牛のですね」という。
普通の牛よりも水牛の乳製品の方がコクがあって好きだという人もいるらしい。衛生的にも問題ないので「食べてみればいいでちゅよ」という。私は笑ってしまう。 「タチツテト」と「チャチチュチェチョ」が使い分けできてないのだ。「日本語、おかちいでちゅか?」とギアは確認してくる。意味はちゃんと通じる。問題ない。 

ギアはガタガタ揺れる車のドアにつかまって「今日は、あちゅいでちゅね」という。
湿気が多いせいか、とにかくじっとりと暑い。
車の中で取材用の分厚いノートがよれよれになってしまう湿気である。 
「暑い」と言うと耐えられなくなりそうだが、「あちゅいですねぇ」と言うと、何だか和むから不思議。そういったわけで、それから私たちの間では「あちゅいでちゅねぇ」が合言葉になった。 

悪路を猛スピードでぶっ飛ばしたせいで、車の中で体をあちこちぶつけて筋肉痛を起こしていたが、時計を見ると予定より30分も早く到着して藤竜也は得意満面だったが、車を降りると、私が話しかけても再びシャイで無口なはにかみ屋に戻る。 

「舟に乗り込んだギアと編集者は目の前で何だか小難しい政治情勢の話をしている。妹はカメラを構えて風景を切取る作業に没頭している。 「いい写真撮っとけよ」と編集者が軽くプレッシャーをかけて笑う。

 広大なメコン川は流れが年中泥色だ。はるか上流から続くラテライトの赤土を侵食してこんな色になるという。川は上流にカンボジア、ミャンマー、ラオス、タイ、チベット、中国へとつながっている。なんせ4000キロ以上もある大河川だ。さぞいろんな文化が混合してこんな色になってるんだろうなと思う。 

ベトナム人とカンボジア人はとても仲が悪いとギアが言う。私たちはこの旅の途中二日間カンボジアの日程を入れていたので、ギアは心配しているという。 
「ルミさんはきっとベトナム人に間違われるから、カンボジアに行ったらちょっと大変でちゅね」という。 「大丈夫大丈夫」と妹が笑う。「だって、あんたも黙ってないだろうし」。

 そうだ、今のうちから旅のカンボジア会話を勉強しておこうとひらめく。
文句の一つも言えるようになっておかねばならないじゃないか。 

だが
「私はベトナム人じゃありません!日本人です!」
などというカンボジア語なんて、旅の会話集にあっただろうか。。。(ないって) 


つづく



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難アリ オールウェイズ・ベトナムの夕陽(3)

フランスパン、食パン、お粥、サラダ、スクランブルエッグ、ベーコン、それから色とりどりのフルーツ。

おや? 飲み物コーナーにある濁った色をしたバターや牛乳は何だろう。いやぁ怪しい、大丈夫かだろうかと考える(あとで水牛のバター、ミルクと判明)。私はとにかくこの地で食あたりすることだけは避けたかった。いや、私一人の問題ではない。編集者か妹がそうなってもダメだ。苦心して毎日長距離ルートを移動する上に、途中二泊はカンボジアに足を伸ばすのである。
 温野菜とベトナム粥を食べながら「生水、氷、生食は厳禁、劣悪な揚げ油にも注意を」という日本のコーディネーター氏の言葉を心に刻む。

「いやいや、おまえね、今どきそんなに神経質にならなくても大丈夫だって」などとのんきなことを言いながら編集者がやっと降りてきた。

この男は過去にインドの十日間に及ぶ取材の二日目に食あたりを起こし、取材旅の半分を寝込んで大顰蹙をかった前科がある。
「絶対にダメ」と私は却下する。さらに、まだ寝ぼけ眼をこすりながら降りてきた妹にも、熱を通したものしか口にしないようにと言う。妹はわかったと言いながら
「フルーツは食べてもいいの?」という。

フルーツか……。これはむずかしい決断だった(だって私も食べたかったんだもん)。うーん。。。フルーツは生水とは違うから、別に構わないんじゃないだろうかねということになり。「よし!」とすることで合意した。だいたい、果物であたったという話は聞いたことがないし。(しかし、後日、果物でも十分にあたるという事実を私が身をもって実証することになる)

その日はホーチミンから南に車で2時間半。ティエンザン省のミトーに行った。そこはもっともポピュラーな観光地で、メコンデルタ地帯にある。メコンデルタ地帯はベトナム戦争で枯れ葉剤の絨毯爆撃をもっともひどく受けた場所でもある。これは編集者のリクエストで行くことになっていた。

ドライバーは英語も日本語もわからないまったくのジモティで、黙って立っていると、まるで俳優の藤竜也そっくりの渋い男だが、話しかけても、恥ずかしがってうつむいてタバコを吸うばかりだ。ところが、そんな彼は車のハンドルを握ると恐るべき人格の変貌を見せる。
「彼はスピード狂デスネ」とギアが言う。発進するとすさまじいスピード。おまけにベトナムは、どこもかしこもデコボコ道、センターラインも何もない天然の道路状態ときている。時にジグザグ走行し人やバイクをよけながらスピードを落とす気配のないバンの中、私たちはあちこちに頭をぶつけ、スプリングの壊れた後部座席にしがみつくのが精一杯だ。さっきまでのシャイな藤竜也は、いまやバックミラー越しに不敵な笑みを浮かべていた。

「ちょっと待ってよギア」と私は絶叫する。ここはいくらデコボコ道とはいえ公道でしょう? それに、この道を見てよ、バイクも自転車もジャカスカ走っている。なのにこの車は120キロ出てる!スピード制限はないのか!
「これでよく人をはねないねぇ」と妹は隣で大きなカメラバックにしがみついて振動に耐えている。「ダイジョブです」とギアは笑う。私は座席に張り付いてエンジン音をもろに脊髄に受け、頭の中までしびれてくる。

編集者はえらく寡黙だ。太っているせいかあまり振動のダメージを受けていないようだ。体の大きな者には大きな者なりにメリットもあるもんだなと思ったが、彼は激しく車酔いしていた。

道行く自転車やバイクたちも手慣れたもので、上手に爆走バンを避けて走っていく。もちろんノーヘルだ。ここは車の数よりも、圧倒的に自転車だの原付だの二輪関係が多い。まるでちょっとした暴走族ばりに集団走行している感じである。あれはいったいみんなどこに向かっているのだとギアに聞くと。「あれは、みんな涼んでるです」。ひゃー、これにはさすがに私たちは驚愕した。目的もなく人が自転車やバイクが、ただぐるぐると涼んでいるというのである!どんだけ暇なんだここは!?「本当に?」ギアにもう一度聞く。「本当でちゅよ」ギアは大まじめだ。   

道端にはフランスパンを所狭しと並べたサンドイッチの露店や、カラフルなタバコ売りの露店があり、写真もゆっくり撮りたいのに、スピード狂は許しはしない。

つづく

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難アリ オールウェイズ・ベトナムの夕陽(2)



 飛行機を降りるとこれまた狭っ苦しいマイクロバスで空港まで移動したが、
「ここがベトナムかぁ」と思うことも困難なほど真っ暗で、周囲の状況がわからない。

薄暗く緑がかった明かりの空港税関で、旅行者は皆持ち込み金額の申請で手間取り、待たされた。私はあらかじめ計算していた通り三人で四日分の八十ドルをベトナムドンに両替した。当時アメリカドルは1万2850ドンで、日本円で129円。日本に絵葉書を出すのには5300ドン、昼食は2万1420ドンかかった。ドンで言うととてつもなく多額に聞こえてお得な気分になるが、5300ドンは39円、21420ドンは180円である。なのに80ドルを両替したときのベトナムドンの札束はちょっとショッキングだった。慌ててボストンバッグに詰め込んで体格のいい編集者に持ってもらったぐらいだ。

ゲートから出ようとすると、タクシーの誘いやら物売りの誘いやらよくわからない誘いやら、こっちが言葉を理解しようとしまいとおかまいなしに、我先に旅人を誘う現地人がわんさかいて、とにかくお互いはぐれないようにと声をかけながら突進。

すると、私たちの名前を大書きして掲げていたベトナム人が、他の現地人を尻目に余裕に満ちた笑顔で近づいてきた。ま新しい白い解禁シャツとプレスした紺色のズボンを履いている。日本でコーディネートしてもらったベトナム人の観光ガイド、ギア君である。

真面目で実直な26歳、どこか昭和の青年を彷彿とさせる顔つきは、やはりアジア人だ。詰め襟の学生服が似合いそうである。彼は本当にありがたいことに、日本語がとてもうまかった。若干不思議な発音はあるものの、充分に日本語で会話が成り立つ優秀なガイドだった。

「もうほんとにこれ以上は限界ですからね!」とコーディネーター氏が苦心してガイドを厳選し、てんでばらばらな私たちのリクエストを組んだ旅。こういうガイドが現れた瞬間に、コーディネーター氏の仕事の腕がわかる。

 ホテルに向かう車の中で、編集者は突然「ギア君は、元阪神の小林投手にそっくりだな」といい、ギアは小林のことなどまったく知らないはずなのだが「では、私はカッコいいですね!」などと冗談をいいあって笑っている。

ギアはおしゃべり好きで楽しい男だったので、私たちはホテルに向かう真っ暗なバンの中で「このガイドなら大丈夫」と心底ホッとしていた。長旅を一緒に行動する仲間の相性は非常に重要だ。今のところは皆問題なく、旅を続けられそうだと安堵感に包まれた。

 とにかくホテルに到着すると明日の集合時間だけ決めて、即時解散、私はベッドに倒れ込むようにして眠っていた。 そして翌朝6時。カーテンを開けるとトンドクタン通りはまだ薄暗いというのに、自転車の大群がガチャガチャ行き来しているのが見えた。圧倒的なチャリの群れだ。

急いで身支度を整え、七時半に編集者と妹にそれぞれモーニングコールをして、低血圧で朝は弱いとか、食欲がないとか文句を垂れる二人にそれぞれ「取材だ、仕事だ!絶対に起きろ!」と鬼軍曹の如く言い放ちレストランに降りて行く。

思った通り二人は定刻に来るわけもなく、私はじっくりこのホテルやベトナム人の特徴や、メニューやバイキングの料理を観察することができた。

到着が夜中だったせいか気がつかなかったのだが、このホテルは岸壁にあって海に浮かんでいるらしい。スタッフは皆よく働くし、親切だ。しかし制服は水色の水平スタイル。

目を射るような白いデカ襟、セーラー帽にラッパズボン、ボンボンのついた水兵帽……この衣装には少々苦笑いする。もう少しシックにできなかったのだろうか。このホテルはオーストラリアから引っ張ってきたサイゴン川の水上ホテルで、真新しくはしゃいだ雰囲気があった。バーやディスコが目玉だそうで、地元の人にも人気の場所なんだとスタッフは流ちょうな英語で誇らしげに話してくれた。

ウッドデッキにはテーブルが並び、ホーチミンの喧騒からひとつ離れた船の上から優雅にカクテルやベトナムコーヒーが楽しめるようになっていた。これはなかなか使えそうである。

レストランに行くと、アメリカから来たであろう一団がいる。
アメリカ人観光客は今の私には一発で識別できた。というのも、ベトナムに出発する前に「アメリカ人観光客向けのはとバスツアー」の取材をしたばかりだったからだ。

不思議なツアーだった。添乗員は日本人だが、アメリカ映画に出てくる国籍不明タイプの人だった。もちろん案内は英語。四季のあるビューティフルな日本の説明を、延々渋滞するバスの中で話している。

しかし、新婚旅行の若いカップルは、それよりキスに夢中だし、老夫婦は大袋に入った甘食をドリンクなしで一袋平らげようとしている。子供は退屈して泣き出し、まったく加減を知らない渾沌としたツアーだった。広いアメリカから、こんな狭い東京へ何を観に来たんだろうなと気の毒になったが、バスはやがて八芳園に到着して「これが東京ですよ」とばかりにガイドが言うものだから、彼らはすっかり「東京はワンダフル、ジャパンはビューティフル」ということになって感嘆しきりである。

私はすっかりしらけてしまい「こんな東京、知らねえよ!」と、つくづく観光ツアーのおかしな構造を思い知った。

それに彼らの食欲と来たら、まぁ高級鉄板焼きの量が足りないだの、お茶席の抹茶が苦い、シュガーとミルクをくれだの何だの、カルチャーの違いを嫌というほど勉強させてもらったばかりだった。

そんなわけで、皿にてんこ盛りにバイキングを乗せる彼らを見て、相変わらずやってるなと思いつつ席についたというわけである。 

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つづく

難アリ オールウェイズ・ベトナムの夕陽(1)



あまりといえばあんまりだ。

私はプンプン怒りながらベトナム航空に乗っていた。

むちゃくちゃシートが狭いうえに、座席指定がなく、先に座ったもの勝ちだという。同じ料金を支払っていてそんなのアリか?。

何とか座れたからよかったものの、野菜を詰め込んだ籠を背中に嫌というほど重ねて背負ったおばちゃんや、竹筒をたくさん抱えて農作業に出かける風なおっさんまで、縦横無尽どかどか乗り込んできて、そのでかい荷物が座っている私にゴツンドスンと当たるのにじっと耐えねばならなかった。

むっとしていると、レトロな紅色のアオザイを着た客室乗務員が、『お気持ちはわかります』というように神妙な笑顔を向け、冷たいおしぼりをそっと差しだした。

広げてみると、それはよっぽど大事に使っているおしぼりらしく、ところどころ繊維がすりきれて黒ずんでいて「これは雑巾ではないか?」と思ったが、広げるとハッカ油の香りがして、怒りが少しおさまった。

機内は聞いたこともない言語がわんわんと飛び交っていてやたらと騒々しい。日本人の乗った飛行機ではまずお目にかかれない騒がしさだ。

ベトナム語、香港語、中国語?。とにかく飛行中だというのに皆平気であちこち動き回る。よくしゃべる。

私はといえばすっかり疲労困ぱいし、一刻も早く無事ホーチミンに到着してゆっくり休みたいとそればかり祈っていた。

その旅は今は廃刊となった某有名旅行雑誌の取材だった。
今から二十年ほど昔の話だ。
 
いつもの一人旅ではなく、カメラマン(当時カメラマンをやっていた妹:今はデザイナーに転職)と担当編集者の三人で約二週間あまりの取材旅だった。

当時の旅のことをこうして書き記そうと思ったのは、ここ十年でベトナムという場所が、ものすごい変貌を遂げたからだ。今や女性が雑貨を買いに行く国になっている。これは二十年前のベトナムと比べると驚くべき変化だと思う。

当時のベトナムはまだ自由旅行が難しく、申請を受け、ガイドをつけてやっと回ることができた。日本人は観光客よりもビジネスで訪れる人の方が多いぐらいだったと思う。

ベトナムはドイモイ政策のまっただ中で、田舎を回るときは地雷の心配も少なからずあった。まぁそれまでタイ経由でしか入れなかったベトナムが、ちょうど91年から香港経由で行けるようになったので、少しは近くなったことも私たちの旅を後押しした。

ベトナムまでわざわざ行くのだから、ついでにカンボジアにも行こうとコーディネーターに取材場所のリクエストを出した。

私と編集者とカメラマン三者三様の取材場所を羅列し、ひとつ残らずコーディネイトしてくれと無理なことを言い、でき上がってきた完璧なスケジュールを見て「おお、すごい、全部入ってる」と拍手したものだ。

コーディネーター氏は自分がいかに辣腕であるかたっぷりと自慢したあと、

「でも、今回は所々でホントーに苦労したし、はっきり言って無理してますから、ホテルとかガイドとか、いろいろ文句言わないでくださいねッ!」と言う。

「ああ、それから、カンボジアとかベトナムの外れで小便したくなっても、草むらに入ってたり絶対にしないでください。地雷ありますから。じゃ、あとはもう、存分に堪能してください、この凄まじいスケジュールをッ」

彼はそういってさっさと帰ってしまった。昔からそういう性格だ。非常にクセがあるアクの強い男だ。でも、彼に任せていれば、取材はほぼ完璧だった。旅のプロフェッショナルだ。このことは私たちもわかっているので苦笑いしながらスケジュール表をチェックした。

確かに完璧だった。その時点では。。。(O_O)




つづく

オールウェイズ・20年前のベトナムの夕陽

 
いったい何回観たら気が済むのか、うちのおかんがテレビでやっていた『オールウェイズ・3丁目の夕陽』を観て喜んでいた。

昭和。確かに今現在の環境的にも経済的にも末期的な日本を思うと、無性に昔が懐かしい。
携帯もない、パソコンもなかった。(出始めのワープロなんて一台40万ぐらいしたもんだ)
とにかくすべてがのんびりしていた。。。ような気がする。

ところでベトナムだ。
今や女の子の雑貨仕入れのメッカとなっているらしきベトナム。
私は編集者と妹と3人で20年前、まだドイモイ政策で観光に自由が利かなかった頃の
ベトナムを訪れたことがある。

あのときのベトナムの印象は、まさに『オールウェイズ・3丁目の夕陽』そのものの不思議な今日習慣に溢れる土ぼこりの道(まだ地雷が危険と言われる場所もあった)ベトナムの景色だ。

思いつきではあるけれど、その頃の旅の日記をこれから綴っていこうと思う。

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沖繩の旅(2)


今回の旅は自然体の旅。五感で自然と光を
感じる旅ということで、思いつくまま気の向くまま
北部と南部をぐるりと周りました。
 
まずは小宇利島(こうりじま)。
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橋続きで行ける離れ島です。
スーパーブルーの海の上を、一直線に進んでいきます。

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日差しは強烈ですが、橋の下は涼しい。
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島には農産物やフルーツも豊富に。
でも紅芋ですとかそういった種類のものは
植物検疫で沖繩から持ち出しはできません。残念。

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お弁当のおそうざい。  鮮やかなマンゴー、グワバ、パイナップルの切売り。
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この島は遠浅で泳げるビーチになっていて、
パワースポットとしても有名だそうです。

とても気持ちのいい風が吹いていました。
しかし、さすがに昼間に泳ぐのはちょっと。。。(笑)
ひどい日焼けで病院に担ぎ込まれる観光客が、年間50人はいるそうですよ。

地元の人は、サンセットから泳ぎはじめます。

日がな一日、橋の下で涼風を感じ、
沖繩民謡を聴きながら海を眺めていると
煩雑だった心の中がからっぽになり、光と優しさで満たされます。

自分のことをのんびり、考える時間がそこにあります。


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今日のことば
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人生における最大のよろこびは
君にはできないよ、と人が言うことを
成し遂げること。  

     byウォルター・バゲホット



沖繩の旅(1)

 
今回の旅はやんばる〜南部くまなく聖地を巡る旅でした。
海。コバルトブルーのちゅら海。

それよりも私の目をひきつけるのは
聖地の緑と光。
そして抜けるような空の色でした。

海よりも、緑を探す旅でした。

写真は、感謝と祈りをこめて撮りました。

そのときにはわからなかったのですが、
後からじわじわ効いてくるパワーがあります。

癒されてくださいね。
待受けにするのもいいかもですね。

これからちょっとずつアップしていきます。

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今日のことば
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「これから何年か先、人生を振り返ったとき
 しなかったことを後悔するのはどんなことだろう?
 
 もっと長く、もっと懸命に働かなかったことではないはずだ。
 もっとモノを蓄えなかったことでもないだろう。

 それが何であろうと、今、それをすべきなのだ」
                  by アーニー・ゼリンスキー







梼原気温急降下(2)

梼原。早朝5時。

夕べは泥酔と、あまりの寒さのために、しばし失神しており候。
2時間、眠っていた計算。

ずーっと部屋の外から“ざーざー”いう音が聞こえて
気になってたまらんかった。


雨が降っているのだろうか?


いや、しかし、窓の外は明るい。


しかしあまりにも厳しい寒さ。
目ざめると同時に布団の中でガタガタ震えている事実に驚愕。
今、何月

部屋の中で吐く息が白い!
 

この寒さ、錯覚じゃなかったっ
ちゅうことじゃのぅ?慎太郎! 


ハッ!! そのとき、私の目に驚愕の事実が飛び込み候て!!


ま、窓開いてるやん。   ここ


いやー、夕べは酔っぱらっちょって全然気がつかんかった!
開いてるよ、おかあさん!
余裕で18センチ!
そこからびゅ〜ゆうて風が吹き込んできゆうわ〜
 

 一夜中 
   外にさらされしこの部屋で 
           我ひとりのみ 凍えると知れ  瑠海



句を詠んでる場合か!


おおおおお!ストーブを発見したぜよ慎太郎! 
でも、つけ方が、まったくわからん!


エアコンならまだしも、民家の石油ストーブは
宿泊客が勝手につけてえいがでしょうか・・・?
火事になったらどないすんねん。


もう、民宿のルールがまったくわからん私。


まだおかあさんも起きてないしなぁ。 
おかあさ〜ん!起きて〜!
なんて
冗談です。かまんかまん。


とりあえず拙者、このままだと凍死するので、

龍馬スピリットを絞り出して
布団の中で服を着替え
布団の中でコートを着込みますきに!


↓↓↓

ハイっ

我ながら、めちゃくちゃ器用なことをやり遂げました


いよいよ部屋を忍び出て、手芸店のカーテンを自分であけ、
あたたかい飲み物を求めて、自販機探しに行くことにします。

おかあさん、ほんとにすみません。
ちっくと出て来ますきに。
また、もんてきますきに

脱藩じゃないですきに。



↓と思ったら


引き戸に鍵がかかってない。
あー、不用心ぜよ〜、おかあさん



いや、ちょっと待て。
ひょっとすると誰かが“脱藩するかもしれん”から、
気を利かせて開けてくれちょったかもしれません

だって梼原だから。

うーん、わからん。民宿のしくみががわからん。
まっこと首をかしげもって自販機を探すわけです


外はめちゃくちゃ気温が低いです。
吐息は完璧に白い。

一晩中鳴り響いていたざーざーという音は、
雨の音ではなくて、川のせせらぎだったと気がつきました。



夕べは泥酔しちょったので宿の位置もわからんかった。

あれが川のせせらぎやったとは。
まっこと、気がついちゃれんでごめんぜよ。

・・・みたいなのが “龍馬スピリッツ”、よのぅ?慎太郎。
とかなんとか、ぶつぶつひとりツイットしもって歩く。

いやぁ、脱藩の郷ひとりじめ状態。
夕べ出てきた豊饒舞の恵比寿さん。今日は銅像に戻りけり。


とりあえず暖かい缶コーヒーを握りしめ、命つなぎとめ候。



ついでに三嶋神社に早朝の参拝に。

みゆき橋。すばらしい風情です。
今日は参拝に来ようと思っていたので嬉しい。



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素晴らしい三嶋神社。ここから続く脱藩の道。
梼原取材過去blogもぜひご覧ください。


梼原・脱藩町歩き(1)(2)(3)(4)(5)
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三嶋神社の神様。
貴重な体験をまっことありがとうございました。

まっこと寒かったけんど、こうしてお参りに来られました。

しかし、この彫刻はどこかで見たことのある彫りですなぁ・・・!
もしやあの方、“土佐の左甚五郎”ではありませぬろうか。
今からぼちぼち梼原の郷土史を調べていこうと思いより候。



山に朝日が差してくる。
民家から、湯気がもくもく立ち上っております。
ほんとに冬のような景色です。



ひとりじめ。梼原の道、ひとりじめ。
この道の両側に、野菜やら何やらどっさり積んだ軽トラが並ぶ
路面市も開かれるんですよ。


歩いているときは寒さも忘れておりましたが、
民宿に戻ると、またやたらに寒い。

どういうわけか、
外気よりも部屋の中が寒いことってありますね。
部屋に入ると体感温度、5度ばぁの感じですよ。
もう、ブルブルガタガタ

お隣はしーんとしてます。熟睡してらっしゃるのでしょう。

部屋でコート着たまま震えていると、
おかあさんが起きていて、
へんしも
(土佐弁で「急いで」という意味ですよ♪)ストーブをいれてくれました。


ありがたいとはこういう時のための言葉!と体感!



コート着込んだまま、ストーブ前から一歩も離れられない状態に。

山の上とはいえ、どんだけ寒いのか!
夕べからは今までになく冷え込んでいるようです。

始発バス 7時16分に乗るから朝ご飯いらないとおかあさんに言うと、
「いや、寒いから少しぐらいは食べてお行きなさい」と、
部屋に差し入れを持ってきてくれました。
感動の部屋食。
クルミが入ったおかあさん特製の黒糖のちぎりぱん。


その後、温かいみそ汁を差し入れてくださって、


これが、これが、まっこと嬉しかったわけです!



ごらんください! 
部屋にいてこの湯気の立ち上り方!
 
しかもストーブがついて、この湯気です!
(まぁ、できたら、ジャパネット高田の声で読んでください)


なんとなんと、花冷えというには寒すぎるほどの梼原



おかあさんに車でバスの待合所まで送ってもらいました。

そして須崎行きのちっこいバス
「じゃぁ、行きましょかー」の運転手さんのひと声で乗車。


が、暖房が効いてない!すんごい寒い!
バスの中の空気が氷のように青い!


「ひやいねぇこんなに冷え込むがは珍しいねぇ」
バスの運転手さんも言うてました。


寒くて寒くてもう動けんなるので、
運転手さんに昔の梼原の道路や交通事情などをお伺いしながら
麓に降りてきました。これは大変にいいお話が聞けました


須崎に着くとかなり暖かく感じます。
山の上はやっぱり寒いんだなぁ。
見事な青空、山々が水鏡に映っています。


さて、翌日の高知新聞。
すごいすごい! 梼原龍馬会、こんなに大きな記事に

夕べ感涙にむせんだ西村龍馬、未来の龍馬こと田村君をはじめ、
みなさん生き生きと脱藩しちょりました がんばった♪



ああーしかし、寒かったぁ〜。
まっこと、忘れ難い思い出が、たくさんできました

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高知に来たら、維新の門は必見!来て下さいね梼原の町♪

雲の上の町、ゆすはら町

「土佐・龍馬であい博」ゆすはら・維新の道社中/開催中!
パビリオンで上映されている映画は感動。演じているのは
なんと梼原龍馬会の面々だそうです。ああ、びっくり!
とてもクオリティ高いですよ。必見!
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