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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(16)


わたしにとっては憂鬱すぎるカンボジア。
その日は編集者のリクエストで、プノンペンから15キロほど離れた悪名高い「キリング・フィールド」に出かけた。

そこはかつてポル・ポト政権下のカンボジアで2万人以上の大量虐殺が行われた刑場跡地である。 それだけ聞いても行く気が失せる。映画『キリング・フィールド』はすばらしい名作だったが、あれが作り話でなく事実であるということにおののく。そして、あの死体に埋まった荒野に今自分が来ていることも、かなり「引く」

国立のトゥール・スレン虐殺博物館はひどく悪趣味だった。古いコンクリートのあちこちに 血や、叫びや、恨みの空気が充満しているという感じだ。かつて囚人がつながれた鎖や拷問用具の展示を見ていると息が詰まりそうになる。私はすぐに飛び出たが、ガイドさんいわく、観光客にはとても人気の場所だという。ちょっとどうかしているんじゃないかと鳥肌が立つ。 悪いが超がつくほど苦手だ。

ここは外に出てもつらい。

錆び付いた有刺鉄線の向こうは、見渡す限りの地平線だ。 今や自然にもどった荒れ狂った大地。そうと知らなければ、いったいこの何もない荒野で何があったのか誰にもわからない。
時折、赤茶色の牛たちがのんびりと草をはんでいる。

しかし、よく見ると、ところどころざっくりと2m、5mと切り崩された地面がある。 
それはまるで巨大な地獄のミルフィーユだ。 
土の間にいく層にも重なった枯れ木のような人骨がはみ出ている。
そして、引きちぎれた戦士のスカーフ。穴ぼこのあちこちに、殺された人々の恨みがはみ出している。いや、もう恨みも尽き果てただただ、疲弊した空気が漂っている。

ゴミのように遺体が重なって捨てられた。 ここに埋まった犠牲者の骨を全て掘り起こすには、資金も足りない。あと何十年かかるかわからない、永遠に無理かもしれないという。 

こういう場所に観光に来る人の気持ちとはどういうものなのか。私たちは一応取材で来たわけだが、観光で来る気にはとてもなれない場所である。 

頭蓋骨を積み上げた慰霊塔がある。この中には、ここで命をおとした二人の日本人カメラマンの骨も入っているという。   
頭蓋骨は一様に沈黙しているが、何かをまだ黙考しているように見える。 
「祈りなど無用。我々はまだ死んでない」
 彼らはそう言っている気がする。 

寂しい風が吹いていた。 あの寂しい風の感触は、多分一生忘れない。
私がここを再び訪れることは二度とないと思う。

翌日、アンコールワットに行くためプロペラ機でシェムリアップに向かった。
ここでもオーバーブッキングを避けるために、席は早い者勝ちだった。
狭い機内は湿気100%じゃないかと思うぐらいの蒸し風呂状態で
座っているだけでじっとり全身に汗をかく。
半端ではない。なんせ、
手に持ったチケットが数分もしないうちに汗でぐにゃぐにゃにゆがむのだ!
このままだと酸欠状態になるのではと危機感さえ感じる。  

眼下にシェムリアップの町が見えてきたが、
見渡す限り水田と湿地、あとはジャングルで何もない。
編集者が「上から水田を見るとガラス張ってるみたいだなぁ」という。
なるほど、そんな見方もあるのだなぁと思いつつ、着陸態勢に入った。
まだここから数キロ先では内戦のまっ最中だという。あんまりうろうろするわけにはいかない。

アンコールワットは広大でも古代遺跡である。トイレや休憩場所があろうはずもない。
まずは唯一の拠点であるグランドホテルに立ち寄る。
そこで日本の戦場カメラマンに出会った。



つづく


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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(15)


「ベトナム人帰れ」「ベトナム人じゃありません!」「どうでもいい、帰れ」「うるせー」そういうやりとりで精神的虐待を受けた(大げさ)上に、ジャージで高級ホテルに戻るのは更に疲労感がつのる。

とはいっても、ジャニーズみたいなスカイブルーの水兵スタイルのホテルマンたちは、ジャージの私にもとても親切で丁寧に接してくれる。これには癒された。感動した(正直言って、ジャージなんて蹴り出されるかと思っていたので)。 

ゴージャスホテルはできたばかりで宿泊客もまばらだった。
うるさい団体客もいない。ホテルの中は静かで、廊下と部屋のひどい湿気以外はほぼ快適だ。  部屋に帰ってさっそくバスタブにお湯をためる。

僻地では蛇口に「ホット」と表示されていても、一向に水しか出ないことが多い。
しかし、さすが五つ星ホテル、確かにお湯が出ている!最高! 嬉しさにガッツポーズをきめ、湯が溜まる間、曇った窓を拭いて外を眺めて過ごす。

眼下に貧しい街がひしめきあっている。
カンボジアをなめていた私は、手荷物といえばコンパクトカメラ(当時はデジカメなどない)と取材ノート一冊。他にほとんど荷物を持っていない。 

「もし、ここで一生暮らせと言われたら?」これは私が旅先で必ず考えることのひとつだが、「カンボジアで一生暮らせと言われたら、私は多分、のたれ死ぬ」とノートに書いた。 
まぁ、おおむねそういう印象だ。

プノンペンは野犬がやたらと多い。

犬にも国の性格があるのかわからないが、カンボジアで見かける犬はどの犬もイライラし、あばら骨が透けて見えるほど痩せていて攻撃的だった。そして犬に限らず、見かけた動物は馬も牛も、猫さえもガリガリに痩せていた。  

ベトナムの農村部タイニンで過ごしたのんびりとした昼下がり、申し訳なさげな瞳で近づいてきた野良犬が日陰で涼んでいる姿を懐かしく思い出したりしながら、しばらくしてバスルームに戻った私は思わず我が目を疑った。

新品同様のバスタブに溜まっていたのは、褐色に近い土色の泥水だった。

こわごわと触ってみると、確かにお湯だ。刺激があるわけでもない。
これはいったい何なんだろう、五つ星ホテルでもこの水道事情というのはすさまじいなと思う。しばらく躊躇していたが、天然の(?)泥湯である。まぁ、いいかと思いきって入ることにした。

まるで、熱いメコン川に浸かっているような気持ちになる。やっぱり風呂はいいものだ。長旅の疲れが一気に癒される。 


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はい、これがメコン川。

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そして、これが溜まったお湯でして。


翌朝、レストランで顔を合わせた全員が口を揃えて 「ありえねー!と風呂の話で盛り上がったが、なんと、編集者も妹も恐ろしくて「入らなかった」と言った。

編集者は「ああいう湯は、体の粘膜あたりからばい菌が入りそうだ」という。
妹は「顔洗ったら目とか口から細菌が入りそうだからミネラルウォーターで洗った」という。  

粘膜からばい菌が入るなどという発想は生まれてこの方、したことがなかったわけで、
私は「あ、ああ、そうなんだー」などと曖昧に笑いながら、
鼻歌で泥風呂にどっぷり浸かった昨夜の楽しいお風呂タイムを思い出して困惑した。

今考えれば、これは不幸中の幸いであった。  
私たちの2ヶ月後に、元プロレスラーの国会議員がカンボジア視察に訪れて、やはり同じくこの泥風呂に驚いたという。さすが議員さん。金に物言わせて水質検査をした。  

で、検査結果は、「非常にやばかった」ということだった。不衛生でばい菌だらけだったそうだ。彼もきっとビビって入らなかったのだろう。もったいない、もったいない。熱いメコン川に浸かるあんな経験は滅多にできるものではない。

もっとも私は泥風呂に入った後、体調が悪くなったわけでもないし、今日も元気で問題ない。 これは入った者勝ち。何ごとも経験という意味で、私は完全な勝ち組である。 


それより明日はキリング・フィールドに行かねばならない。
あ〜、気が重い。キャンセルしたいよ。。。勝手に行ってくれよ。。。


つづく

難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(14)



ホテル・カンボジアーナ。当時、できたばかりのぴかぴかの五つ星ホテルである。

部屋も広々と豪勢だった。
大きな窓ガラスが真っ白に曇るぐらい湿気があったが、
窓からはメコンの雄大な流れが見下ろせる。

テーブルには飲料水のペットボトルが置いてあり、なんといってもここには清潔なバスルームがあった!やった、今夜は風呂だぁ! とひとり小躍りした。

1時間後、ロビーに集合すると、そこには出迎えに来た人とは別の女性がいた。
先ほどの女性は自分にはできない、とさじを投げたという。 

「おひとりおひとりの質問が専門的すぎて、明らかに普通のツアーガイドではつとまらない、自分には無理だと思ったそうです」とガイド氏は笑う。「逃げたか」「いや、責任感ゆえの放棄」でしょう、などと笑っていたら、ガイドの女性が「明らかに普通じゃない人たちだからと言われて覚悟してきました」という。多分こっちが本音だと思う。  

カンボジアの市場をぶらり散策する。
市場の品物はベトナムと比べてがぜんカラフルだ。これは西側のタイ文化(あるいはインド文化)の影響だという。 怪しい日本語(あきらかに間違った日本語)の商品もちらほらみかける。

市場を歩いていると、カンボジア人が編集者に向ける目と、私に向ける視線が違う。
編集者は『観光客、お客様』、だが、その横にいる私に向ける視線がするどいのだ。
『ベトナムに帰れ』などと捨てぜりふを吐かれるのだ。めっちゃ不条理だ!

 不思議なもので、捨てぜりふや非難の言葉は、言語がわからなくても、たいてい直感でわかる。負の言霊だ。 「ノー!私はベトナム人じゃない、ジャパニーズだよ!」と言っても信じてもらえないのだ。バカ野郎! 「ソース・ライ!?(ハロー!?もしもし?)」と言ってもシカトされる。なんだよこの国は。皆は「あんまり気にするな」というが、わたしゃ釈然としない。 

「隣り合わせの国は仲が悪い」というが、カンボジアはギアが言った通りベトナム人をあからさまに嫌う。そうなったのも怨恨の争い、メコンデルタの肥沃な土地をめぐって血で血を洗う重い歴史を繰り返してきた結果だとガイド氏は言う。(だからって私には関係ねーだよ)。

カンボジアはタイとも仲が悪いというから、つくづくつきあいづらい国だなと思う。

当時、カンボジア統治のためにUNTAC(アンタック)が停戦監視、治安維持、武装解除へと働きかける活動を始めてちょうど半年ほど経った頃だ。

プノンペンのあちこちに兵士相手の裏商売が見られた。表通りからすぐ裏側に行くと「売春宿通り」と呼ばれる場所もあった。 そこには掘っ立て小屋が建ち並び、薄暗い入口には化粧をした女たちが座っている。日に灼けた顔に真っ白なおしろいを塗るものだから、顔だけがぼっと浮き上がって見える。この通りはここ数カ月であっという間にできたという。もちろん客は圧倒的にアンタックの兵士たちだ。

その頃は国連事務次長が日本人だったこともあったが、カンボジアで日本人とすれ違うこともなかった。またこういったことがテレビニュースで報道されることもなかった。 

とにかく、私を見ると「このベトナム人ッ」と嫌な顔をされ続け、カンボジアという国の閉鎖的陰気さに辟易する。私のような国籍不明系の人間にはとてもつらい。
個人的にかなり頭に来てしまい、“カンボジアは田舎の村社会だ!”と日記に書きなぐった。

先日行われたサッカーの“タイ対カンボジア戦”は選手同士が試合中に喧嘩になり、タイ側が怒って3日試合中止になった。これが呆れるほど、暇さえあればいがみあっている。

なんなんだ、この国は〜!

つづく

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わが輩は鬱である。薬はもうない!

難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(13)


私の数少ない長所のひとつは “約束の時間を(たいていは)守る” ことである。
学生時代は遅刻常習犯だったが、卒業と共にそのような悪癖とはきっぱりと縁を切ったのだ。とにかく、遅刻はしたくないし、相手に遅刻されることにも寛容ではない。

朝の3時半。眠い目をこすりつつシャワーを浴びて気合いを入れる。
窓の外はまだ真っ暗だ。モーニングコールをしても全く応答のない編集者に怒りながら、ひとりロビーに降りてチェックアウトの手続きをする。
妹が5分遅れでロビーに現われる。彼女も半分眠っているような状態である。
編集者はなかなか降りてこない。これがむかつく。

いらいらしながらロビーから電話をかけ、やっと出た編集者の寝ぼけ声に思わずぶち切れモードになる。今すぐ起きてこい!
カンボジア行の飛行機間に合わねーじゃん!

ロビーで揉める私と編集者を「まーまーまーまー」などと言いつつ妹が仲裁に入る。
なかなかいいクッションになってくれている。

もし、この旅で妹と私が同じ部屋だったら、こうはいかなかったはずだ。  

姉妹というのは不思議なもので、うまくいっているときは非常に楽しいが、しょーもないことで大喧嘩に発展する。嘘のような本当の話だが、自分に喧嘩を売る寝言を言った、言わないと夜中にわけのわからぬ喧嘩が始まったりする。

そういったことを旅先で経験するなど冗談じゃない。しかも仕事なのだ。
今回の旅はそういった意味も考えて、それぞれにシングルの部屋をとった。

ま、後述するが、長旅の疲労から勃発するめんどくさい姉妹ゲンカの顛末を考えても、部屋を別にするのはめちゃくちゃ正解であった。  

朝4時。ギアがホテルに走り込んできた。“ごめんなさい!5分遅れてしまいました!”と申し訳なさそうに叫ぶギアの頭髪は、まるで爆風にやられたようにボッサボサだ。

そして、サイズぶかぶかで、あきらかに他人のものとわかる作業ジャンパーを着ており、
右左の靴と靴下の色もてんでばらばら!だ。
こ、これは相当慌てたどころではなく、世にも異常な慌て方であり、こちらが不安になるぐらいだ。

聞くところによると、ギアの家はホーチミン郊外なので、朝遅れてはいけないので夕べは会社に泊まったという。

いや、それはともかくとして。いったいそれ誰の服?誰の靴?誰の靴下?。。。と言い出せないままギアの運転する車の助手席に乗り、空港まで送ってもらう。

ベトナム紙幣の札束はカンボジアに持ち込めないのでギアにあずかってもらう。  
外はまだ夜明け前。日本だとこの時間はとっくに明るいのだが、などとギアと話し、後ろを見ると編集者も妹も眠っている。

薄暗い通りを安全運転で行くのは初めてだ(いつも藤竜也の暴走運転だから。。。)。
よくよく目をこらすと、電信柱の小さな街灯の下に食卓を出して、朝ご飯を食べている家族がどこそこにいる!これはすごい、と思わず目を凝らしてしまった。

ギアは空港の入口で心配そうに「ここから飛行機乗るの、大丈夫でちゅか」という。
カンボジア空港に到着したら、ああしろこうしろとくどいほど指図してくれる。
「大丈夫でちゅよ!」とギアの口癖を真似て笑って手を振った。    


ところでカンボジアは2泊。

私は現地にまったく興味がなかった。


正直言って私はカンボジアを舐めていた。

まだところどころ地雷の心配もあるし、内戦中の場所もあるのであまり深入りしたオーダーはやめてください!とコーディネーター氏に釘を刺されていた。

妹はどうしてもアンコールワットに行きたいといい、編集者は絶対にキリング・フィールドを行きたいという。アンコールワットについて熱く語る妹の話もキリングフィールドについて説明する編集者の話も上の空だった。ただただ眠い。

私にとってカンボジアは本当におつきあいだ。  

私は仕方なく、市場やその周辺をリクエストしてスケジュールを組んでもらっていた。それもたいして期待などしてない。つまんないに決まってる。
正直、アンコールワットもキリングフィールドもパスしたいと思っていた。

たった2泊でベトナムに戻るので、とにかく余分な荷物は持ちたくない。
どうせ遺跡巡りで薄汚れるだろうからと、荷物はほとんどホテルに預かってもらい、私が持っていたのはジャージにトートバックひとつだけであった。 

今思えば本当に、私のカンボジアに関するイメージはプアだった。

ホーチミン空港からカンボジア行きのベトナムエアに乗ると、外国の有閑マダム的ご夫人の御一行が、やたらと暑がっていた。 
「どの国のおばはんもやたらと暑がるんだな」と編集者が言う。
「ああいう観光客をここで見ると、文化のいろんな無駄がまとわりついてるのがわかるよね」と妹がいう。

確かにそれはわかる。
「だいたい、カンボジア旅行になぜあんなに豪華な宝飾品や化粧が必要なのだ? 」 
とジャージの私がつぶやく。。

眼下にぐねぐね蛇行するメコン川と、果てしない水田が広がっていた。
カンボジア空港は工事中で、壁も剥がされ、至る所がれきだらけで心配になるほどボロボロだった。税関はアバウトでイージーで、だけどなぜか彼らの目つきは鋭く、不審がることしきりである。なんだなんだ? ジャージがそんなに悪いか?とムッとしながら出口に向かう。

そこで出迎えてくれたガイドは、なんと若い日本人女性だったので私たちは思わず緊張の糸がゆるんで、「おお〜」と拍手した。

カンボジアには日本人夫婦が経営する旅行オフィスがあるという。  
彼女の案内で連泊するというホテルへ向かった。

そこが五つ星ホテルだと聞いて、え!?と、暗澹たる思いになる。
私、ジャージだよ。。。ジャージしか持ってないよ。

かくして豪華絢爛。気後れするようなカンボジアのホテルに到着した。やばすぎる。


つづく


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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(12)


さっき、編集者の今回の取材テーマが「ベトナム戦争」だと聞いて憂鬱になっている。一方、妹のテーマは“アンコール・ワット”を始めとする「遺跡文化」だという。
で、私のテーマは?と問われると、これが見事に思い浮かばない。  

だいたい当初の私のテーマは公設市場やタイニンのカオダイ教で真っ先に玉砕されていた。
ここに来て、しいて言うなら。。。ベトナムとカンボジアのカルチャー、人々の日常生活に興味があったので、多分そういうことだとお茶を濁す。
とにかくこれだけは断言できる。
私は戦争にも遺跡にもまったく興味がない。

しかし、それをあからさまに口に出せば「わがまま」だとか「協調性がない」とか言われるのは目に見えているので、彼らが戦争の置き土産のライフルを射ってキャーキャー騒いでいるときも、離れた場所に座ってひたすら暑さに耐えていた。
まったく、あんなことやって何が楽しいのかとうんざりする。バカだ。ただのバカ。  

二人は汗だくで戻ってきて、私の「ノリが悪すぎる」と言うが、そんなのノレるわけがねーだろ。
  
敷地内にボロボロの売店があった。何か飲み物はないかと尋ねたが、常温のコーラとビールしかないというのでやめた。売店というよりは物置きだ。
とにかく咽がカラカラだが、どうすることもできない。
ベトナムは湿度が高くて汗だく、一歩外に出ると飲み物難民になってしまうので軽い脱水症状に陥る。  

ホーチミンに戻って真っ先に、私は水筒とベトナム茶を買った。
ベトナム茶は日本茶とほとんど変わらず、強いて言えば番茶とウーロン茶の中間のようないい香りがする。これを飲まない手はない。 
編集者が言う。「それを買ってさ、湯はどーすんだよ」。

そりゃぁ、レストランで入れてもらうに決まっているじゃないか。

すると、二人とも口を揃えて「ひー、図々しい〜!」と言う。ちょと待て。どうしてホテルでお湯をもらうのが図々しいのだ? 
じゃぁ君らは外でぬる〜いビールかコーラでも飲めばいい!そうしたまえ!

それからというもの、毎朝食事の後に厨房に行って水筒にお湯を入れてもらう私のことを、彼らは白い目で見ていたわけだが、この水筒のお茶には出先で両者ともたびたび助けられることになったわけで、それからは私の厨房日参行動は「図々しい」という批判から「手堅い」という評価に変わった。フン。  

その日の夕方からサイゴンの町にはしとしと雨が降り、サイゴン大教会に寄るとちょうどミサをやっていた。入り口からはみ出さんばかりに人がいる。ちょっと中をのぞくと、隣のおばちゃんが何やら怒っている。その身振りから察するに、 「このバカ、帽子を脱ぎなさい!」といっているようだ。 私のことをベトナム人だと思っているのだろう。すみません、とあやまって帽子をとる。「そうよ、それでいいのよ。ほんとに今どきの若いのはまったくマナーを知らない」そんなぶつくさが手に取るように聞こえてくる(もちろんベトナム語だから真相はわからないんだが、多分当たっているはずだ)  。

その夜はギアがベトナムで流行りのレストランに連れて行ってくれた。 
湾岸沿いの倉庫を使った食堂で、若者のベイサイドばやりは東京もベトナムも変わらない。 ここの人気料理はベトナムのお好み焼き・バインセオという食べ物だ。薄い卵焼きのようなクレープ状の薄皮(米粉に卵を加えてココナッツミルクで伸ばしたもの)に海老とモヤシと豚肉を炒めたものがはさまれている。これをちぎって甘辛いニョクマムにつけて食べるのだが、これがなかなかおいしい。

久々に冷たいビールを飲み、実にさまざまなものをお腹いっぱい食べて、しめて4人で64000ドン。64000円だったらもう真っ青なのだが、これは日本円で600円ぐらいである。

そのあと、ギアはノリノリになって「レックスホテルの近くの飲み屋に行きましょう」という。行ってみるとそこはカラオケレストランであった。なんだかベトナムまで来てカラオケに来るとは思ってなかったなぁと私たちは面食らいながら、それでもギアが歌が大好きだというので、楽しげな彼の話を聞きながら興味津々でジモティの歌に耳を傾けた。 

しかしそこで披露されるベトナム歌謡は、どれもこれも悲しすぎるメロディ、涙・涙・また涙といったストーリーの歌ばかりで呆れてしまう。タイプとしては日本の演歌と同じだが、全体的に「恨み節」がメインで、3曲も聞くと言葉もわからないのだけど、メロディだけで気分が落ち込んでくる。日本の明るい演歌が恋しいと痛切に思わせる負のメロディ。 ギアはベトナム的泣きのこぶしを利かせて、ベトナム歌謡5曲を歌った。他客の歌に比べると、ギアは圧倒的に歌がうまかった。 

時計を見るともう9時を過ぎている。明日はカンボジアに移動、ゆっくり眠る暇もない。
朝4時にはホテルを出て空港へ向かわねばならないのだから。絶対に寝過ごさないようにとお互いに言い合いながら帰途についた。

カンボジア。。。想像以上に大変な場所であった。
どーせ田舎なんだからラクな格好で行こうと決めた。が、
私たちは到着早々、カンボジアをナメていたことを痛感することになる。

つづく


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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(11)

ここにきて連日の大移動、三人ともかなり疲労の度合いが濃くなっていた。朝は全員おかゆしか咽を通らなくなっていた。  

ホーチミンからクチまでは時速120キロで2時間半だ。ぐったりする。道は今まで以上にガタガタで、取材メモなどまったく書けない。乱暴運転のせいで車内の荷物やら天井やらにぶつかり、体のあちこちが筋肉痛と打ち身で痛む。しかしながら、時速120キロでぶっとばす車など、地元の人は一向に気に止めぬ。のたくさと道を横切る牛たちも、一向に平気である。 

コダの町に入ると、道沿いの建物が圧倒的にボロ長屋の形相を帯びてくる。 あちこちに「HONDA」と書いたボロ看板がかかっているが、そこにHONDA社製品はひとつもない不思議。よくよく聞いてみると、ここでは「HONDA」という言葉が「修理」という意味で通っているらしい。 

通りでラッシュアワーさながらに走っている涼み族の二輪車は、圧倒的にホンダのスーパーカブが多かった。もちろんベトナムでは乗り方使い方が日本とはまったく違う。一台のカブに二人乗り、三人乗り、家族4人乗り、五人乗りなどという曲芸的な乗り方も平気で見かけるから、さすがカブはタフだよなぁと思う。しかしその前によく捕まらないものだなと感心する。たまにオシャレなヘルメットで決めている若者もいるが、みなさんほぼ基本的にノーヘルである。 

クチ地区に入ると周囲は田舎濃度が強烈に高くなってくる。延々と続く水田。ノンと呼ばれる三角垂の形をした傘をかぶった農家の人たちがあちこちに。それと、道端には野犬がやたらといる。 「この犬たちは捕まえられたらライオンの餌になるですね」とギアが平然と言う。  

そう言われてみると、どの犬もビクビク怖じ気づき、首をたれて申し訳なさそうに人の近くにいる風情だ。冗談かもしれないし、冗談じゃないかもしれない。真相はわからん。一瞬、謎肉のことが頭によぎるが、すぐに打ち消す。

 車はクチの地下壕跡へ到着した。ガチで戦争現場をそのまま公開した陰気な場所だ。あちこちにミサイル弾とかそういった戦争遺産が展示されていて殺伐とした気持ちになる。

解放戦線が掘り下げた全長250kmにも及ぶ地下トンネル、一部を観光客に開放しているのだが、まぁ内部は凄まじいものだった。中には生活に必要な全ての設備、軍事司令室、治療室、手術室などがあり、中で生じた料理などの排気は、管を通って別の場所から地上に出るよう設計されている。

米軍が空爆を続け枯葉剤をまき散らす中、解放勢力はこうして蟻のように地下にトンネルを掘り広げゲリラ戦を続けたのだ。これだけ精密で長距離に及ぶと、中の構造がどうなっているのか米軍にはわかるはずもない。体格のよい米兵はトンネルに入ることもできないだろう。仮に入れたとしても、穴の中で振り向くこともできない状態だから、その後どうなったかは容易に想像がつく。 

 ギアは「私とルミは大丈夫だがあとの二人は……」と心配する。編集者はプロレスラー並の体だし、妹も結構体格がよい。ギアいわく、このトンネルの穴にひっかかって出られなくなる旅行者もいないわけではないという。ひっかかったら後ろにじりじりと下がって入った穴に出るしかない。そういうリスクがある人は一番最後をゆっくり進むことになる。体が太ければ太いほどツラい。

トンネル内は狭くて暗くて暑くて、こういう場所が苦手な私は動悸がする。
「なんでこんなところを行かなきゃならないんだよ」とため息をつきながら狭い穴をじわじわ進んで行く。
心の中はこんな場所に来たがる編集者への呪いの言葉で一杯になるのであった。
気分が悪くなって引き返したくても、編集者と妹が穴を塞いでいて戻ることができない。最低だ。「来るんじゃなかった。。。」後悔の嵐だ。


つづく

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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(10)



出てきた料理は、イカと野菜の炒めものと、ベトナム汁うどん(いわゆる、フォー)、そして、何度“これは何の肉?”と聞いても、にこにこするだけで教えてもらえない“謎肉のてんぷら”であった。

しかし、イカの甘くてやわらかいことといったら感動的である。これはベトナムでとれる“赤ちゃんイカ”の料理だという。そして謎肉。油ギトギトだったので食べるのを躊躇したが、開き直って口に入れると、それも極上にやわらかく、鳥でもなく牛でもブタでもない何かの肉なのであった。あっさりした塩味でご飯がすすむ。ひょっとするとレバーかもしれない。わからない。火が通っていて美味ならもう何でもいいや、という気持ちである。 

店の奥から子供たちが私たちの一挙手一投足を興味津々に見つめている。

「おいしいねえ!」とわざと日本語で声をかけると、店の奥に走って隠れてしまう。    こういうときに日常使いのベトナム語が話せたら、どんなに得るものが多いだろう。

ギアほど流ちょうな日本語ガイドがいると、初めての国でもこの上なく便利だが、自立、自発的一人旅の神経回路がほとんどOFFになってしまう。 今ベトナムでギアが隣にいなかったら、今後の私たちはいったいどうなるのだろうと危機感が芽生えるぐらいだ。だから、なるべく片言でも現地語が話せるように、暇な時間はベトナム会話を少しでも覚えることにした。

 タイニンの大衆食堂の中は、じっとしていても体中の毛穴から汗がにじみだしてくる蒸し暑さである。 女の子たちが大きな扇風機を奥から持って来て、こちらに向けて回してくれる。熱風が当たる。それでもないよりはマシだ。  お礼を言うと、はにかみながら笑う。目が合うと照れ笑いをして下を向く。 優しさ、ピュアな心、ベトナムの子供たちを見ていると、今どきの日本の子供たちが忘れかけている子供らしさをちゃんと持っていることに感動する。

これはしつけなのだろうか、文化なのだろうか? 
「ベトナムの子供たちは素直で、いい子が多いですね」とギアはいう。 
「ギアも子供の頃はいい子だったでしょうね」と私が言うと
「はい、いい子でちた」と笑う。さすが素直だ。  

しかし今28歳のギアも、十代には「反抗期」があったという。 
「昔は駅で煙草を売ったり、寝ては酒を浴びるように飲んで泣く生活をしていました」とさわやかな笑顔で演歌みたいな生活を語りだした。  
妹と編集者が声をそろえて「ディープだ」と言う。  

ギアはなおも身の上話を続ける。 「昔ね、私は事故に遭いました。後ろから酔っ払い運転の外人に衝突されてケガをしました。でも強い人が偉いのです。だから私は……」と言って顔をしかめてみせた。 
「そりゃあ許せない!」三人が声を揃えて言う。  

それ以来、話題に乏しくなると「一度話し始めると止まらないギアの不幸話」が始まるようになり、この流れを何とか食い止めにゃいかん、と私たちは取材に熱が入った。  

編集者と妹は誌面に使う周辺の風景写真を撮りに行き、私とギアは食堂に残って子供たちにベトナムの歌を教えてもらったり、お礼に日本の童謡を歌ってのんびりした時間を過ごした。  

近所の子供が宝くじを売りに来た。 冷蔵庫とバイクに囲まれたモデルがにっこり笑っている安っぽい構図がなかなか味わい深かったので1枚買うことにした。 

「ルミサンは冷蔵庫当たるとうれしいね。私はこの女の子が当たると嬉しいです」とギアは笑う。そのジョークはなかなか上級だよ、と私も笑う。 扇風機を当ててくれている女の子たちもわけもわからずキャッキャと笑う。  

しかしギアは日本語を独学で学んだというからすごいものだ。もうそろそろ結婚してもいい年なんじゃないのかというと、「そうですね。でもそれよりも私にはしなくてはならないことがありますから」という。それは何?と聞くと「日本語をもっと勉強すること」という。

ガイドの給料は一般の他の仕事の給料よりも高いというから、「ギアはお金持ちね」というと「ええ、そうですね」と笑う。  しかし、ガイドをやっていることは親には内緒なのだという。「なぜならガイドという仕事は両親にはわかってもらえない、ちゃらんぽらんな仕事のように思われているから……」という。いろいろ事情があるに違いない。「そうかぁぁ。でも、ギア君はすごくいいガイドだと思うよ」というと、彼は「ありがとございまちゅ」と照れ笑いをした。  

私は長い間、目の前を行き交う人たちや、野良犬たちや、子供たちと遊んで過ごした。砂ぼこりのたつ田舎道も、掘っ立て小屋みたいなこの食堂も、子供たちの澄んだまなざしも、西日の加減さえ昭和初期の懐かしい空気に包まれている。  

翌日はホーチミンから七十キロ北西に行ったクチに向かった。戦争遺跡も今や観光名所になっているわけだが、私としては進んで行きたい場所ではない。この場所は編集者のリクエストで入った日程だ。思いきって拒否したいが、昨日のカオダイ教の負い目がある。しぶしぶ暴走バンに乗りこんだ。

つづく

難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(9)

黒婆山から更に暴走1時間。
ようやくたどり着いた「カオダイ教総本山」はまるで原色テーマパークのようなギョッとするたたずまいだった。

どピンクのねじり棒みたいな門をくぐる。ギアがまず教会に先に入って行き、内部をちょっと見せてやってほしいと誰かに頼んでいる。やがて白いアオザイ風の裾長シャツに白いパンツ、白いラビ風の帽子をかぶった老人が、ギアの隣から私たちを覗いて、「どうぞこちらに」と手招きしている。

編集者は私をヒジで小突いて
「おまえさぁ、変なところに来ちゃったんじゃねえのかぁ!?と囁く。

図星だ

正直、ギアがいなければ、私は激しく動揺していただろう。ここはあちこちヤバ過ぎる。
えらく奇妙な新興宗教テイストがぷんぷんしている。

妹が「あー、やっちゃったねぇとつぶやく。

そんなの私がいちばんわかっている。痛感しとるわ! 

梅津かずおのマンガそっくりの巨大な目玉の絵が、窓に大描きされている。。。
カオダイ教のシンボルマークらしい。。。

巨大聖堂に入ると、三角形の中から巨大な神の片目がこちらを覗いているオブジェがてんこもりだ。

「怖っ。「まことちゃん」みたいだ!」と思う。
この目はカオダイ教で「宇宙の神」を表すシンボルだそうだ。。。

カオダイ教の神様観はとにかく変わっている。

ここでは、キリストもブッダもアラーも、小説家のビクトル・ユーゴーも、ありとあらゆるものが神と崇拝され、「神は宇宙、宇宙は神」という、目が回りそうな世界観を持っている。

祭壇には、巨大な宇宙を表した直径3メートルもの瑠璃色の宇宙義があり、その真ん中にはやはりあの「神の片目(まことちゃんの目)」がぎょろりと覗いている。ひどくシュールで皆無言になってしまった。

祈りが始まるらしい。信者らしきアオザイ軍団が入ってくる。二階の手すりからホールを眺めているうちに目まいがしてきた。

私に地図まで描いてくれたアランが「面白いから絶対見てきて」と言ったのはなぜだ!。

なぜなんだアラン!!てめー、この野郎!。。。

信者たちがおごそかに入って来て礼拝する。
宇宙の神があちこちから片目で覗いている。ぞっとするようなこの違和感は何だ? 

妹は苦虫をかみつぶしたような顔で
「なんか怖いよ! もうここは嫌だ」とぶうたれる。
「あーあ、こんな遠くまで来ておまえこれが見たかったわけ?」と編集者が痛烈な皮肉を言う。ギアも明らかに嫌がっている。完全に私の負けだ。
もうたくさんだ。帰ろう、帰りましょう! 私たちは逃げるように祈りの世界を立ち去った。渾沌としたベトナムの新興宗教、原色のぎらぎら宇宙の巨大な神が片目で私たちをいつまでも見ていた。

門から車が出るなり、車の中でこぜりあいになった。

編集者は「おまえな、ここの記事は絶対NGだからな!書けねーぞ!わかってんだろうな!
と言う。わかってますよっつーの! 今更アランを恨んでも仕方ない。6時間近くかけてたどり着いた場所の取材が徒労に終わったことに私はすさまじく凹んだ。

タイニン地区はカオダイ教総本山の建物だけが周囲の地味な農村地帯から派手に浮いていて、他は本当に何もないど田舎である。

昼食はこんな遠くまで来ちゃったので、急遽道路沿いの大衆食堂に入るという。
店には壁も窓もなく、道路に向かって完全なオープンエアの掘っ立て小屋にテーブルを置いただけの食堂で、私たちは思わず「ここ大丈夫かよ」と身構えるほどである。
私たち日本人だけでは、とうていビビって絶対に入ることはできない。まさにジモティによる、ジモティのための食堂であった。

ギアがいてくれて良かったと思うと同時に
「こんなところで食べて腹を壊したりしないだろうか」という猜疑心にとらわれる。
「おい、大丈夫かよここは!」「知らないよ!」と私たちのひそひそ声の小競り合いが続く。最期はもう、火が通っていれば何とかなるさと開き直りの境地に至った。
ギアを信じるか信じないか、行き着くところはその一点である。

全員一致で「ギアを信じる」ことで話がまとまった。どうにでもなれ。店にはメニューもない。 厨房から皺だらけのお婆が私たちのことを何か珍しい生き物でも見るように、目を真ん丸にして見つめている。

店の奥にはそこの孫たちなのか、中学生ぐらいの華奢な女の子が二人、これもまた珍しい生き物を見る感じでのぞき込んでいる。

「ハイ!」と挨拶をすると、消え入りそうな声で挨拶を返し、二人顔を見合わせて店の奥に引っ込んだ。キャッキャと笑う楽しげな声が聞こえてくる。

「何が食べたいでちゅか?」とギアが笑顔で聞く。

私たちはベトナムの「温かい麺」が食べたい旨を伝え、あとはギアにまかせることにした。ギアは「わかりまちた!」と言って店のおばちゃんに話している。ベトナム語の会話。コーとかカーとかホーとかそんな音声だ。私にはまったくわからないが、そこには確かに普通の生活があるのだなぁと妙に見入ってしまう。


そして出てきた謎肉のてんぷら。。。(焦


つづく

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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(8)


数日も経つと暴走野郎の運転にもすっかり慣れてきた。
滞在四日目は朝4時起き。5時にはホテルを出発し、北西に約100キロの場所にあるタイニン省を目指す。タイニンの隣はカンボジア国境だから、かなりのドライブだ。

実はタイニンには、私のリクエストで向かう場所である。
悪路を5時間以上かけてこの乱暴運転につきあわされるとあって、編集者は「本当に面白い場所なのかよ」と疑心暗鬼になっている。 2時間もすると、「どうしてこんな辺鄙なところにわざわざ行きたがるんだよ、ほんとに面白いのかよ」とどんどん不機嫌になっていく。

タイニンに何が待ち受けているのか、私にもそれは全くわからなかった。
とにかく旅のスケジュールを立てていると、編集部にいたイギリス人特派員が
「ベトナムに行くならタイニンは外せないよ! カオダイで面白いものを見てくるといいよぉ!」と強烈に推薦してくれたのだ。  

そこにはカオダイ教(高台教)という、ベトナム独特の新興宗教の総本山があって、その世界観がめちゃくちゃ面白いのだと彼は力説した。 

「あれは興味深かった。ある意味、現代アートだったよ。僕は世界中を旅したけど、あんなユニークな場所は他にない」。  

そして、必ず行ってみてと地図まで描いてくれた。そこまで言われたら、何だか行ってみようかなと思ったわけだ。

しかしタイニン地区はうんざりするほど遠かった。

爆走する車の外は、果てしなく続く畑の緑、緑また緑。山々につらなる畑のあちこちに、三角錐のノンというわら帽子をかぶって農作業にいそしむ老人たちが見える。このあたりはひたすら農村地帯だ。  

しかし、こんな平和そうな田舎でも戦時中に米軍がマリファナ狩りをしたり、好き勝手やっていた所だというから驚きだ。

そういえばベトナム戦争の写真で、兵士たちが両手に山ほどマリファナを掲げてにんまり笑って映っている写真を見たことがあるが、あれはこの辺で撮った写真だったのかなぁと思う。途中、この辺で特に有名だという霊山があるとギアが振り向いて指を差す。 
「ほら、クローバーの山が見えて来ましたよ」とギアがいう。 
「クローバー・マウンテン?」と妹が言う。ロンリープラネット(文字ばかりの英語版「地球の歩き方」)を調べていた編集者が 「いや違う、そっちのクローバーじゃなくて、ブラック・マジック・ウーマンの方だ」と笑う。地図を見ると「黒婆(くろばぁ)山」となっていた。  標高986メートル。修行僧のための霊山だそうだ。

ここはかつて米軍に枯葉剤でそれこそボロボロになるまで攻撃された場所である。  枯葉剤というのは除草剤、つまりダイオキシンの一種で、戦争時ベトナム兵の隠れる山をはげ山にするため、またゲリラの食料を欠乏させる目的で畑や耕作地に一斉散布された。それが一般人に及ぼした健康被害は今更ここで話すべくもないだろう。  黒婆山は戦後長い間はげ山だったが、最近になってやっと少しづつ植物が成育し始めているという。しかし、将来はわからない。枯葉剤のせいで生態系は激変しているという話だった。  

戦争の暗い話の流れを察したギアが、話題を変えた。 「このクローバ山はベトナムでも人気の霊山ですね。ここにお参りするとハイミスでも結婚できます」と笑う。
「ハイミス」なんて言葉は久々に聞いた。いったいギアはどこでこんな言葉を覚えたのだろうと妹と顔を見合わせる。 車を降りてなだらかな山を登ると、どこからか5、6人の子供たちが走り寄ってくる。皆それぞれに線香を持っていて「買って!買って!」の合唱だ。

15円ぐらいの線香だから買っても大したことはないのだが、こういうとき一人の子供からひとつでも買ってしまえば、他の子からも買わねば泣いてしまう小さな子もいるのがつらい。これは買い物ゲームだ。だからこちらも徹底的にねぎってみる。ベトナム語で「高いッ」と言うと、必死の形相だった子供たちは急に子供の笑顔に戻って、ゲラゲラ笑って喜んでいる。無邪気な押し売り集団なのだ。ポケットから持っていた飴をさし出すと、皆「カームオン・チ(ありがとう)」と外国人の私にわかるように、何度も言う。「コンゴ・チィ(どういたしまして)」。そして再び一斉に騒ぎはじめて「買って!買って!」の大合唱が戻る。 

子供たちに囲まれ、笑ったり遊んだりしながら霊山を歩いていく。  
山の途中でござにひざを立てて一服している婆さんに出会った。彼女は私たちを見てニカッと笑ったが、口元にを見てギョッとした。歯がメチャクチャに折れていて、血まみれだ。
 
いや、お婆さんはケガをしているのではないぞ? 歯も口もまっ赤だが、さも陽気に笑っているのである。あれは何だ? お歯黒の一種か?とギアに尋ねる。 「いや、あれはビンロージュを噛んでるですね」とギアが言う。  

それは「キンマ」というコショウ科の植物の葉にヤシ科の「ビンロウ」の実をスライスしたものと石灰を少々足して噛む、いわば麻薬的噛み煙草である。ビンロウは噛むと唾液と反応して口の中がまっ赤に染まる。それは飲み込まずに地面に吐き出すので、あちこちがまっ赤に染まってあまり気持ちがよいものではない。この光景は異様だが、もちろん本人は極めて気分がいいらしく、酒でも飲んだ感じで話しかけてくる。  

お婆は「あんたもどうだね、やってみるかい?」とさし出してくれたが遠慮した。お婆のまっ赤な口をみていると、地獄に続いているのではないかと思えてしまう。人っていろんなものに愉しみを見出すもんだよねぇとつくづく感慨深い。 「ビンロージュは今や年寄りしかやりません」とギアは厳しげな顔で言う。納得。  

ひとりひとつづつ線香を売ることができた子供たちは、バイバイと笑顔でいつまでも手を振っていた。 

 つづく

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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(7)

お土産の価値観は多種多様である。

 市場では何〜も欲しいものが見つからず、あちこち観察がてらぐるぐる建物内を回っていると、 ノンをかぶった店のおばちゃんたちが「あら、また来たあ?」などとからかってくる。 「来た」と覚えたてのベトナム語で言うと、ゲラゲラ笑って何か言っている。 「見てばかりいないで何か買いきなさいよ」、多分そんなことを言っているんだと思う、多分。 「またね」というと、おばちゃんたちはまたげらげら笑う。 私のベトナム語がおかしいのかもしれない。ま、知ったことか。  

 国営デパートで私が唯一興味をひかれたのは、ベトナム語で乱雑にタイトルを書きこんだ「カセットテープ」屋台である。 ショーケースには10個、20個と紐で結わえられた生テープに、手書きのベトナム語で何やらタイトルが書かれている。明らかに誰かが録音した海賊版である。 いつの間にかギアが隣に来て「これはラジオの教育講座の録音テープですね」と言う。ははぁ、なるほど!商魂たくましい。そして勉強熱心なベトナム人らしいと感動する。 

ギアは安っぽい紙に包んだものを「はい、これ美味しいですね」と手渡してくれる。 開けてみると、巨大なベトナム月餅だ。直径は18センチ、厚さは3センチ。中にりんごとナッツを刻み込んだ中華餡が入っている。しかもこれが結構おいしい。 

月餅をかじりながらうろうろして、ふと編集者と妹を見ると、彼らの周囲にはびっしりと物乞いの子供たちが輪を作っていて、手を広げて金をくれという者、自分の実情を語り、だから金をくれと言う大人、無尽蔵に人がたかっていた。ギアが「あっちに行きなさい」と小銭をやって追い払い、やっと解放されている状態である。 

私は少し離れたこちら側で月餅を食べながら、感慨深く眺めている。 さっきから、私だけ別世界にいる。 誰も私に物乞いに来ない。 さっき追い払われて、また寄ってきた子供たちも私には見向きもせず編集者に突進していく。 ここまでくると、私は蚊帳の外か?という気持ちにさせられるから不思議なものだ。 

ギアは笑いながら「あなたはまるで、ベトナム人にしか見えないからですよ!」という。 手荷物も持たず手ぶらで、買い食いしながらぶらぶらしている観光客はいない。日にも灼けているし、顔もベトナム人そっくりだし、全体的にジモティに溶け込みすぎている(泣)。 

もうそろそろ帰ろうと言っているのに、編集者はやっきになって「ホーチミン・サンダル」を探している。 ホーチミン・サンダルとは、廃タイヤを利用して作るジモティのサンダルで、編集者がどこで情報を仕入れたか、当時のベトナムの若者の間で流行しているという(もちろんガセネタだ)。 さんざん探し回ってやっと見つけたが、実物のあまりにもタイヤ的なゴムの重量感には呆れた。 

「なぜこんなものがベトナムの若者に流行るの?」とギアに聞く。 
「いえ、流行ってないと思いまちゅよ」とギアは笑う。  

あまりにも重いサンダルに失笑しつつも、編集者は意地をはって結構な値段でそれを買い求め、ベトナムでは最先端だと行って履いて過ごした。まるでタイヤだ。どうぞ好きにやってくれ。

市場には理解しがたい土産物もあった。「象の足で作ったごみ箱」だ。 悪趣味もここまでくると恐ろしい。 ギアは二つの象のごみ箱に両足をつっこみ、象のブーツと苦笑いする。そして、「こういう土産は、あんまり良くないでちゅね」という。 いやほんとにひどい発想。どんな人間がこんなものを家に置きたいと思うのだろうね。。。


 つづく


注:写真はベトナムとは関係のないイメージカットです。
ちなみにこれは、コンビニで買い求めたハローキティ肉まん。中身は普通の肉まんであった。つまんねぇ。

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