September 2017  |  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

旅は冒険に満ちすぎる・インドネシア孤島の旅(10)


ホテルのロビーでインドネシアの大学生が声をかけてきた。
英語を勉強しているらしく、英語で話がしたかった、というようなことを言っている。
私が英字新聞を眺めていたからそう思ったのだろう。
誰かと話ができる状況は、私にとっては救いだった。
息が詰まりそうな緊張感がパッと消えた。
後になって思えば、なぜ彼女がそこにいたのかはわからない。
彼女は父親のおつかいでそこにたまたま立ち寄ったのだという。
縁というのは、きっとこういうことを言うのかもしれない。

体はきゃしゃで、大学生というよりは中学生のように見える。浅黒い肌に、こぼれ落ちそうなほど大きな黒い瞳、とても魅力的な女の子だった。
しかし彼女の英語はまだ全然成り立っておらず、英語とインドネシア語のちゃんぽんみたいだ。私は私でインドネシア語などあまり深くはわからない。
お互い意思疎通ができているのかいないのかまったくわからない状態のまま、
「良かったら、家に遊びに来ませんか?」という彼女の誘いに「いいよ」とひとつ返事で答えてしまった。無謀である。

心の声が言う。「お前、パスポートと財布、身ぐるみ剥がされて殺されるかもよ」
私は「殺されたらそれまでだ」と答えながら、女の子と通りの人力車に乗る。
彼女の家はみんなクリスチャンだという。隣人にひどいことをしないことを心のどこかで願う。 

どこをどう走ったのかわからないが、コンクリートの民家が立ち並ぶ地味な町内的な通りに来た。観光客など、どんなに探してもひとりも見つからないだろうと胸を張って言い切れる場所だ。 ちょっと、びびる。びびりますよ、これは。 

「着いた、ここ、ここ!」とうれしそうに案内してくれる女の子について、コンクリートの民家に入って行く。 

外は暑いが、コンクリートの部屋の中は暗くてひんやりしている。
私はわざと大声で「こんにちは!」と言う。図々しい善人であれ。それが最後の砦だ。 
相手が善か悪かの確率は半々だ。殺されるかもしれない。そうでないかもしれない。
わからん。この旅のなりゆきも、自分の考えも、インドネシア語もわからん!

コンクリートの民家の中は扇風機が回っていて、窓の外の緑が部屋を照らしている。
どこかからわらわらと彼女の姉妹3人とお父さんお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんが次々出てきた。彼女は5人姉妹のちょうど真ん中だと言う。大学生だというのが本当なら裕福な家なのだろう。とにかく、ここで少し危険から遠ざかったような気がして一安心だ。 

私はそこで和気あいあいとしゃべり、なりゆきで歌を歌った。
お互い何語かよく理解していないが、コミュニケーションがやけくそで成り立つという不思議な状況だ。歌は予想外に大受けした。
とにかく何でも思い浮かぶ日本の歌を歌ったわけだが、「川の流れのように」が絶賛された。アカペラなのに! これはインドネシアでもおなじみの曲らしい。良かった。何とか首がつながった。わけわからんけど、とにかく良かった。 

時計はもうすぐ11時になろうとしている。
「そうだ、昼ご飯をうちでいっしょに食べましょう」と皆が喜々として言う。
なんだか困ったなぁと思いつつも、出てきた言葉はこうだ。
「はい!ありがとうございます」とな。
 またしても心の声がする。「食うんだな? いいか、覚悟が必要だぞ、いろんな意味で!」 「わかってる!」と私は答える。もう、後は野になれ山になれだ。 

五人姉妹は昼食ができるまでの間、私を近くの食堂に連れて行きたいという。
ずるずる歩いて、通りの角にあるがらんとした大衆食堂っぽい場所に行く。
初台とか新宿にこういう感じの台湾料理屋があるなぁとぼんやり思う。 

姉妹はどういうわけか興奮して大はしゃぎである。
「この人は私のジャパンのフレンドだ」と大いに自慢しているようだ。
まぁ、それはそれでかまわないが、よくよく考えると、あんたら誰? という感じなのだが。 

私はそこでまた、彼女たちに歌って歌ってとねだられる。もう、何なんだと思いつつ、断らない。もう開き直りである。店の人が嬉しそうにジュースとえびせんべいをふるまってくれる。

ふと見回すと、あたりは数十年ぶりに物珍しい動物を見たような顔のジモティで人だかりができていた。 何なんだこの状況は。姉妹たちはそれを見て鼻高々といった表情だ。どうやら、注目されたいらしい。 

どちらにせよ、私もホテルで気が狂いそうになりながら時間が過ぎるのを待つよりはマシだ。随分マシ!旅の恥はかき捨て状態だ。 

その後、再び民家に戻る。
改めて、大家族の前で自己紹介をする。
そして再び歌って歌ってと言われ、日本の歌を歌う。インドネシア人、どんだけ歌が好きなんだよ。いろいろやみくもに歌ってみたが、テレサテン、美空ひばり、坂本九。このへんがじいちゃんばあちゃんのツボだった。 

またしても家の周辺に人垣ができる。歌を歌うたびに、コンニチワ!と発するたびに拍手喝采だ。なんだこの状況は。  

大学生の女の子は、他の姉妹に「彼女を連れてきたのは私だもんね」と得意顔でツンツンしながら、私に何かと世話をやいてくる。
驚くことに、表に車を停めてわざわざ見物にくるジモティもいた。
どう考えてもうまい歌ではない。とにかく、珍しいらしい。 
どんだけエンタメのない町なんだよここは。

コンクリートでできたキッチンから煮込みが運ばれて来た。 
急にこしらえたので、何も用意できなくてごめんねというようなことをいっている。 
「ツリマカシー!(ありがとう)」とインドネシア語で何度も言う。 

味などわからない。バラ肉的な謎肉が入っている。変わった食感だ。 
「これは何?」インドネシア語で尋ねると、「犬」という言葉が返って来た。 
「客人をお迎えするときは猫なんだけど、今日はごめんなさいね」という。 
平静を装い、「いいえ、どういたしまして。ありがとうございます」と答える。 

できることなら、私がインドネシア辞典を引き間違えたことを祈る。 
そうであってほしい。謎肉は、ほのかにレバーのような香りで、ちょっと硬かった。 

なんと食後に瓶入りのファンタが出る。 それも、あのファンタだ。チクロ騒ぎの主人公だった、真赤なファンタ。小学生の頃に飲んだ合成着色料のキッツい、ファンタグレープだ。 
すごいなぁこれ、デッドストックか?と感動する。 
何十年かぶりに唇も舌も真っ赤に染まった。 

結局1日中、あちこちで歌って過ごした私は、人力車でホテルまで送ってもらい姉妹に「また会おう」と手を振って別れた。

どうやってまた会うというのか、苦笑いする。
お互いの名前も知らない、住所も連絡方法もわからない。ただひたすら歌い、片言のインドネシア語を連発し、食事にありつき、ジモティと延々と交流した。 
不思議な感じがする。
町の人の声、笑顔、民家での謎肉とファンタの昼食。楽しかった。 
ホテルで一人になると妙に寂しくなる。

それにしても、彼女たちを見ていてちょっとハッとさせられたことがあった。
レストランを出る時、彼女たちは皿に残ったものをすべてビニールに入れて持ち帰る。
エビせんの一枚であろうと、飲みのこしのジュースであろうと。

それをどうするかというと、窓の外にいるホームレスにそっと渡すのだ。ごく当たり前のように。 人が支え合って生きているということを目の当たりにする光景だった。 

つづく
pagetop