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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(24)


みぞおちがしくしくと痛むのを気にしながらシャワーを浴びる。
ヤバい。これは非常にヤバい感じの痛みである。今までに経験したことがない類いのやつだ。胃を内側から何かに食い破られているような痛み! 

不安と恐怖でぐったりしつつベッドに横になる。 本来なら、こんな湿気た部屋からは一刻も早く抜け出したいのだが、無理だった。 

旧式のエアコンがでかい音を立てる。 ひんやり、じっとりした部屋で、 「何が当たったんだろう」とこの期に及んでぐるぐる考える。 

昼に食べた牡蠣のバンセオが怪しい。 調子に乗って何杯も飲んだレモネードもヤバかった。 

ビーチで行商のおばさんが天秤棒で持ってきた意味不明の寒天ゼリー。 
湯のみほどのガラス瓶に入った緑と濁った白のツートンのゼリー。あれはヤバいかも。 
緑は抹茶の味ではなかったし、白はクリームでも卵白でも牛乳でもココナツミルクでもなく、まさに危険きわまりない謎ゼリーだったが、ギアが買ってくれたので魔が差して食ってしまったのである。 

その後、ゆでとうもろこし売りが来たのでそれも買い食いして、セブンアップを飲んだ。 
とにかく、油断しまくっていた。 

胃薬を飲み、遠くに波の音を聞きながら涙目で横になる。 どうかこのまま収束してくれますように!と神に祈る。 だが、ベトナムの神様は願いを聞き入れてくれなかった。 

真夜中に腹の激痛で目が覚める。 
立ち上がってトイレに行こうとするが、身動きできないほど痛い。 だだっ広い浴室の青いタイルの床を這うようにしてトイレまで行くが、何も出ない。 大丈夫だ!と自分を勇気づけるも、上からも下からも出るべきものは何もない。 瀕死の状態で寝そべって痛みに耐える。 

しばらくじっとしているが、痛さはどんどん増してくる。 痛すぎて悪寒がして吐き気がしてくる。 なんとか痛みが和らぐ体勢でじっと息をひそめるが、 その間も額やら背中やら冷や汗が流れ、キツサが最高潮に達してきた。 

こんな僻地で病院送りになったら、どうするよ〜! しかもそれは今、限りなくリアルな悲劇になろうとしている。 

朝6時半に編集者から「飯に行くぞ」と能天気な内線がかかってきたときは、 私は息も絶えだえであった。 

朝食もビーチもおあずけで湿気た部屋のベッドの上でひたすらじっと耐える。 手持ちの胃薬とバファリンを飲んでベッドに横になると、もう立派な病人だ。 地味な気分だった。 

今日の午後にはここからホーチミンに移動しなくてはいけないというのに、 コロニアルな窓も開けることができないほど動けない。 

午後、真っ赤に日焼けした二人とロビーで合流した私は、何とか治まった腹痛の後遺症でフラフラであった。 編集者は半袖の下からコクチョールの刺青のような内出血を覗かせながら、親知らずが痛くてヤバいといい、 妹はどういうわけかいきなり鼻血を出してしまい、みんながみんな、大丈夫かよ、のオンパレードである。 長旅は体に堪える、という典型だ。

そこにきてギアが「私は頬の骨が崩れる難病にかかっています」といきなりディープなカミングアウトをしたものだから、おいおいおい、大丈夫かよ!の嵐である。 

ギアいわく、社会主義国というのは自由に他国に行けず、交流もないので医療も遅れている。いくらベトナムで金持ちになっても、病気になればそのまま死を待つしかないという(今はそんなことはないとは思うが)。 

「でもわたち、日本のお医者さんと交流持ちましたね」とギアは笑顔になる。「あと何年生きられますかと聞きましたね。十年は大丈夫でしょうとね、言われました」とにっこりした。彼は本当に話がうまい。この話のおかげで腹痛を一瞬忘れた。 

その頃、新聞でベトナム人の最新平均寿命の記事を見たことがある。

当時、男性の平均寿命は62歳。それでも数年前までの平均寿命50歳に比べると、随分改善されたとあって愕然としたものだった。 

当時、ベトナムの医師は3200人にひとりの時代なので、ひょっとするとギアの悩みもきっと深いに違いなかっただろう(今はどれぐらいに改善されたのだろうか。。。)。 

ギアが最後に、大通り沿いのアイスクリームカフェに連れて行ってくれた。
ホーチミン名物の「バクダンアイス」。
思えばあれがベトナムのカフェ・カルチャーの走りだったと思う。 

腹は痛かったが、ここで食っておかねば後悔するという判断で、すみやかに食べる。 
表通りのバイクや自転車の喧噪の中で食べるアイスクリームサンデーは、
なつかしい昭和の味がした。 

編集者は滅多にそんなことを言わないが「なんだか幸せだなぁ」という。
妹も「いいねぇ、幸せだねぇ」と言う。
ギアは満足そうに、「そうでちゅか? そうでちゅね」と笑っている。 

エアポートで、とうとうギアとお別れの時が来た。 

さすがにこれだけ長く一緒にいると、ギアとの別れはつらかった。 

ギアは「わたちはここから中には入ってはいけませんね」と言いながら、空港ゲートの外で私たちが税関でちゃんと手続きできているか心配そうに見つめている。 
何度振り返っても、じっと見て指図してくれるのだ。 

最後にみんなで手を振って、サヨナラを言って、 私たちはそれっきり、ギアの方を振り向けなかった。 みんなもう、涙で目が真赤になってしまっていたのだ。 ギアの目も赤くなっていた。 

香港に1泊して、やっと日本に帰る。 腹痛もなんとかおさまり、やっと日本に戻ると、どういうわけか時代を10年ぐらい遡ってきたような不思議な感覚に陥った。

当時のベトナムは、日本が木製の電信柱だった時代に近い環境だ。 
今はきっと一部はオシャレな街になっているのだろう。 

でも、絶対変わってないと確信できる場所も多い(笑)。 
ベトナムの僻地で昭和初期を体感する旅もシャレているかも。 
ただし、食べ物だけはやっぱりご用心を。




おまけ

ベトナムキャッチ。

1)ホーチミンの公設市場。ごちゃごちゃぎっしり。
2)ベトナム的な人物イラスト。けっこう濃い系。
3)公設市場で売られていた、英会話の教材(自宅録音系)テープ
4)昼食に出てきた川魚のフライ。細工がすごい。米皮でウロコを付けて
揚げてある。立って出てくるところもすごかった。。。味は超淡泊。
5)ベトナム的アイドル、アオザイ美人のポートレート。いいなぁ、黒髪♩
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