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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(10)



出てきた料理は、イカと野菜の炒めものと、ベトナム汁うどん(いわゆる、フォー)、そして、何度“これは何の肉?”と聞いても、にこにこするだけで教えてもらえない“謎肉のてんぷら”であった。

しかし、イカの甘くてやわらかいことといったら感動的である。これはベトナムでとれる“赤ちゃんイカ”の料理だという。そして謎肉。油ギトギトだったので食べるのを躊躇したが、開き直って口に入れると、それも極上にやわらかく、鳥でもなく牛でもブタでもない何かの肉なのであった。あっさりした塩味でご飯がすすむ。ひょっとするとレバーかもしれない。わからない。火が通っていて美味ならもう何でもいいや、という気持ちである。 

店の奥から子供たちが私たちの一挙手一投足を興味津々に見つめている。

「おいしいねえ!」とわざと日本語で声をかけると、店の奥に走って隠れてしまう。    こういうときに日常使いのベトナム語が話せたら、どんなに得るものが多いだろう。

ギアほど流ちょうな日本語ガイドがいると、初めての国でもこの上なく便利だが、自立、自発的一人旅の神経回路がほとんどOFFになってしまう。 今ベトナムでギアが隣にいなかったら、今後の私たちはいったいどうなるのだろうと危機感が芽生えるぐらいだ。だから、なるべく片言でも現地語が話せるように、暇な時間はベトナム会話を少しでも覚えることにした。

 タイニンの大衆食堂の中は、じっとしていても体中の毛穴から汗がにじみだしてくる蒸し暑さである。 女の子たちが大きな扇風機を奥から持って来て、こちらに向けて回してくれる。熱風が当たる。それでもないよりはマシだ。  お礼を言うと、はにかみながら笑う。目が合うと照れ笑いをして下を向く。 優しさ、ピュアな心、ベトナムの子供たちを見ていると、今どきの日本の子供たちが忘れかけている子供らしさをちゃんと持っていることに感動する。

これはしつけなのだろうか、文化なのだろうか? 
「ベトナムの子供たちは素直で、いい子が多いですね」とギアはいう。 
「ギアも子供の頃はいい子だったでしょうね」と私が言うと
「はい、いい子でちた」と笑う。さすが素直だ。  

しかし今28歳のギアも、十代には「反抗期」があったという。 
「昔は駅で煙草を売ったり、寝ては酒を浴びるように飲んで泣く生活をしていました」とさわやかな笑顔で演歌みたいな生活を語りだした。  
妹と編集者が声をそろえて「ディープだ」と言う。  

ギアはなおも身の上話を続ける。 「昔ね、私は事故に遭いました。後ろから酔っ払い運転の外人に衝突されてケガをしました。でも強い人が偉いのです。だから私は……」と言って顔をしかめてみせた。 
「そりゃあ許せない!」三人が声を揃えて言う。  

それ以来、話題に乏しくなると「一度話し始めると止まらないギアの不幸話」が始まるようになり、この流れを何とか食い止めにゃいかん、と私たちは取材に熱が入った。  

編集者と妹は誌面に使う周辺の風景写真を撮りに行き、私とギアは食堂に残って子供たちにベトナムの歌を教えてもらったり、お礼に日本の童謡を歌ってのんびりした時間を過ごした。  

近所の子供が宝くじを売りに来た。 冷蔵庫とバイクに囲まれたモデルがにっこり笑っている安っぽい構図がなかなか味わい深かったので1枚買うことにした。 

「ルミサンは冷蔵庫当たるとうれしいね。私はこの女の子が当たると嬉しいです」とギアは笑う。そのジョークはなかなか上級だよ、と私も笑う。 扇風機を当ててくれている女の子たちもわけもわからずキャッキャと笑う。  

しかしギアは日本語を独学で学んだというからすごいものだ。もうそろそろ結婚してもいい年なんじゃないのかというと、「そうですね。でもそれよりも私にはしなくてはならないことがありますから」という。それは何?と聞くと「日本語をもっと勉強すること」という。

ガイドの給料は一般の他の仕事の給料よりも高いというから、「ギアはお金持ちね」というと「ええ、そうですね」と笑う。  しかし、ガイドをやっていることは親には内緒なのだという。「なぜならガイドという仕事は両親にはわかってもらえない、ちゃらんぽらんな仕事のように思われているから……」という。いろいろ事情があるに違いない。「そうかぁぁ。でも、ギア君はすごくいいガイドだと思うよ」というと、彼は「ありがとございまちゅ」と照れ笑いをした。  

私は長い間、目の前を行き交う人たちや、野良犬たちや、子供たちと遊んで過ごした。砂ぼこりのたつ田舎道も、掘っ立て小屋みたいなこの食堂も、子供たちの澄んだまなざしも、西日の加減さえ昭和初期の懐かしい空気に包まれている。  

翌日はホーチミンから七十キロ北西に行ったクチに向かった。戦争遺跡も今や観光名所になっているわけだが、私としては進んで行きたい場所ではない。この場所は編集者のリクエストで入った日程だ。思いきって拒否したいが、昨日のカオダイ教の負い目がある。しぶしぶ暴走バンに乗りこんだ。

つづく

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