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難アリ オールウェイズ ベトナムの夕陽(8)


数日も経つと暴走野郎の運転にもすっかり慣れてきた。
滞在四日目は朝4時起き。5時にはホテルを出発し、北西に約100キロの場所にあるタイニン省を目指す。タイニンの隣はカンボジア国境だから、かなりのドライブだ。

実はタイニンには、私のリクエストで向かう場所である。
悪路を5時間以上かけてこの乱暴運転につきあわされるとあって、編集者は「本当に面白い場所なのかよ」と疑心暗鬼になっている。 2時間もすると、「どうしてこんな辺鄙なところにわざわざ行きたがるんだよ、ほんとに面白いのかよ」とどんどん不機嫌になっていく。

タイニンに何が待ち受けているのか、私にもそれは全くわからなかった。
とにかく旅のスケジュールを立てていると、編集部にいたイギリス人特派員が
「ベトナムに行くならタイニンは外せないよ! カオダイで面白いものを見てくるといいよぉ!」と強烈に推薦してくれたのだ。  

そこにはカオダイ教(高台教)という、ベトナム独特の新興宗教の総本山があって、その世界観がめちゃくちゃ面白いのだと彼は力説した。 

「あれは興味深かった。ある意味、現代アートだったよ。僕は世界中を旅したけど、あんなユニークな場所は他にない」。  

そして、必ず行ってみてと地図まで描いてくれた。そこまで言われたら、何だか行ってみようかなと思ったわけだ。

しかしタイニン地区はうんざりするほど遠かった。

爆走する車の外は、果てしなく続く畑の緑、緑また緑。山々につらなる畑のあちこちに、三角錐のノンというわら帽子をかぶって農作業にいそしむ老人たちが見える。このあたりはひたすら農村地帯だ。  

しかし、こんな平和そうな田舎でも戦時中に米軍がマリファナ狩りをしたり、好き勝手やっていた所だというから驚きだ。

そういえばベトナム戦争の写真で、兵士たちが両手に山ほどマリファナを掲げてにんまり笑って映っている写真を見たことがあるが、あれはこの辺で撮った写真だったのかなぁと思う。途中、この辺で特に有名だという霊山があるとギアが振り向いて指を差す。 
「ほら、クローバーの山が見えて来ましたよ」とギアがいう。 
「クローバー・マウンテン?」と妹が言う。ロンリープラネット(文字ばかりの英語版「地球の歩き方」)を調べていた編集者が 「いや違う、そっちのクローバーじゃなくて、ブラック・マジック・ウーマンの方だ」と笑う。地図を見ると「黒婆(くろばぁ)山」となっていた。  標高986メートル。修行僧のための霊山だそうだ。

ここはかつて米軍に枯葉剤でそれこそボロボロになるまで攻撃された場所である。  枯葉剤というのは除草剤、つまりダイオキシンの一種で、戦争時ベトナム兵の隠れる山をはげ山にするため、またゲリラの食料を欠乏させる目的で畑や耕作地に一斉散布された。それが一般人に及ぼした健康被害は今更ここで話すべくもないだろう。  黒婆山は戦後長い間はげ山だったが、最近になってやっと少しづつ植物が成育し始めているという。しかし、将来はわからない。枯葉剤のせいで生態系は激変しているという話だった。  

戦争の暗い話の流れを察したギアが、話題を変えた。 「このクローバ山はベトナムでも人気の霊山ですね。ここにお参りするとハイミスでも結婚できます」と笑う。
「ハイミス」なんて言葉は久々に聞いた。いったいギアはどこでこんな言葉を覚えたのだろうと妹と顔を見合わせる。 車を降りてなだらかな山を登ると、どこからか5、6人の子供たちが走り寄ってくる。皆それぞれに線香を持っていて「買って!買って!」の合唱だ。

15円ぐらいの線香だから買っても大したことはないのだが、こういうとき一人の子供からひとつでも買ってしまえば、他の子からも買わねば泣いてしまう小さな子もいるのがつらい。これは買い物ゲームだ。だからこちらも徹底的にねぎってみる。ベトナム語で「高いッ」と言うと、必死の形相だった子供たちは急に子供の笑顔に戻って、ゲラゲラ笑って喜んでいる。無邪気な押し売り集団なのだ。ポケットから持っていた飴をさし出すと、皆「カームオン・チ(ありがとう)」と外国人の私にわかるように、何度も言う。「コンゴ・チィ(どういたしまして)」。そして再び一斉に騒ぎはじめて「買って!買って!」の大合唱が戻る。 

子供たちに囲まれ、笑ったり遊んだりしながら霊山を歩いていく。  
山の途中でござにひざを立てて一服している婆さんに出会った。彼女は私たちを見てニカッと笑ったが、口元にを見てギョッとした。歯がメチャクチャに折れていて、血まみれだ。
 
いや、お婆さんはケガをしているのではないぞ? 歯も口もまっ赤だが、さも陽気に笑っているのである。あれは何だ? お歯黒の一種か?とギアに尋ねる。 「いや、あれはビンロージュを噛んでるですね」とギアが言う。  

それは「キンマ」というコショウ科の植物の葉にヤシ科の「ビンロウ」の実をスライスしたものと石灰を少々足して噛む、いわば麻薬的噛み煙草である。ビンロウは噛むと唾液と反応して口の中がまっ赤に染まる。それは飲み込まずに地面に吐き出すので、あちこちがまっ赤に染まってあまり気持ちがよいものではない。この光景は異様だが、もちろん本人は極めて気分がいいらしく、酒でも飲んだ感じで話しかけてくる。  

お婆は「あんたもどうだね、やってみるかい?」とさし出してくれたが遠慮した。お婆のまっ赤な口をみていると、地獄に続いているのではないかと思えてしまう。人っていろんなものに愉しみを見出すもんだよねぇとつくづく感慨深い。 「ビンロージュは今や年寄りしかやりません」とギアは厳しげな顔で言う。納得。  

ひとりひとつづつ線香を売ることができた子供たちは、バイバイと笑顔でいつまでも手を振っていた。 

 つづく

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