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旅は冒険に満ちすぎる・インドネシア孤島の旅(11)


一睡もできずに出発の朝を迎えた。 

テレビはひどい電波障害だ。 
生放送中だというのに、音声がめちゃめちゃ途切れる。 
しかしインドネシアはラジオを聞いても段取りの悪さがひどい。 
「えーーーーーっと、あーっと、うーん」そういうリズムでいつまでもだらだらとやっている。 やる気なしだ。 

テレビにイラクとアメリカの戦争が本格的になって、 
夜空を花火のようなミサイルが飛んで行く様子が映し出された。 
インドネシアでも、テロに備えて空の便が大きな遅れを見せているという。 
急いで確認するとガルーダインドネシア機は5時間の遅れだという。
呪った。 
しかしそれでもチケットがとれて帰るだけラッキーだった。
1時間が、1日にも2日にも感じられる。

東京は真冬だというのに、こちらはひどい残暑だ。 
日本に帰ったらもう一歩も日本から出るもんか、と意味もなく誓う。 
ろくな食事をしていないことに気がついて、ルームサービスを頼んでみる。 
チキンバスケットを頼んだのに、出てきたのはフィッシュフライだった。 
もういいからとボーイを部屋から追い出し、 香草臭いレモネードを飲みながら、
食べたくもないフィッシュ&チップスを口にする。 

エアコンの音は、船のエンジンルームみたいな騒々しさで 
私の心を大いに砂漠化させてくれた。 
気を抜くと、窓からのぞき込んでいる庭師と目が合ったりするので 
黄土色のカーテンを閉め切っている。 
この状況で爽快な気分でいられる人間がいたら奇跡に近い。 

日本語恋しさで読んで読んで読み倒した地球の歩き方はもはやボロボロだ。 
日本語の本を数冊もってくるべきだったのだ。 
この期に及んではテープに入れた音楽も洋楽ばかりで、聞きたくもなかった。
もう限界。 
早めにチェックアウトして、タクシーに値段交渉して空港に向かう。
さらばスラバヤ。 

小型国内線でジャカルタに向かう。
大粒の雨がザアと滑走路を叩いた。 
ものすごい豪雨。道はすでに川になっていた。 
搭乗アナウンスさえ雨と雷の音にかき消される状態だ。
こんな状態でこの飛行機は飛ぶのだろうか?  
誰も躊躇せず乗り込んで行く。乗ってやる。落ちてもここにはいたくない。 

隣の席のインドネシアのおっさんは現地のタンポン会社(そう言った)の社長で、 
やたら話しかけて来る。 
あなたは英語よりもインドネシア語の方が上手じゃないですかとか言われて、 
大きなお世話だばかやろうと日本語で言って笑う。日本語は通じないらしい。 
もういい、黙ってほしい。 

明日の今頃はきっと私は日本にいると考えるだけで幸せだった。 
お寿司食べたい。うどん食べたい。帰ってやる。死んでも帰る。 
ジャカルタ着。あとは日本行きのガルーダに乗るだけとなった。 

アナウンスが流れる。WARだから遅れます。
もういい加減にしろよサダム!と目を閉じる。 

予定時刻を更に1時間40分遅れて離陸。トータルすると7時間近く待たされた。 
座席につくと、バリ帰りの東北弁に囲まれて、私はやっとくつろいだ気分を思いだした。 
窓の外は星の滝だ。もうすぐ日本に帰れる。 
これからはもういつでもお湯に浸かれるし、安心して眠ることもできる。 

体重はこの旅で5キロ落ちた。 
戻ってきてしばらくすると体のあちこちに大きな赤い斑点ができた。 コワッ!
医者は、蚊に刺された跡ですねという。日本の蚊に刺された跡とは比較にならないほど大きな斑点だ。あれだけ強力な蚊取り線香(もう二度とごめんだ!)を仕掛ける理由がやっとわかった。とにかく、マラリアにかかっていなかったのが幸いだ。 

私の乗っていたインドネシアから日本のフライト客の5人がコレラで倒れたと聞いた。 
バリで食べたロブスターの刺身が当たったのだそうだ。刺身食うかな、普通。 インドネシアで皆不幸だった。 

戦争下の楽園は、ちっとも楽園じゃないことだけがわかった旅だった。 
せっかく書いた絵葉書を投函し忘れて、結局近所から投函した。 
余裕のない旅というのは、多かれ少なかれ最後までこういうケチがつく。 
そういうものだ。 

以上旅日記やっと終了。 

1.jpg
ギリメノから出て行くボートを眺めた唯一の写真。
開発と同時に、青珊瑚は消滅してしまったらしい。砂浜に転がっているのはアダンの実。




やっと、次回から通常ブログに戻ります
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